レポート「縄文タイムトラベル 〜 実践編」

REPORT vol.46

レポート「縄文タイムトラベル 〜 実践編」

開催日 : 2026年09月27日(日)

対象年齢 : 7歳〜12歳

ナビゲーター : 寒川 一

場所 : 長者ヶ原遺跡ほか(新潟県糸魚川市)

[ OUTDOOR, CULTURE ]

縄文の扉をひらく、四年目の秋。
森と海、火とともに、未来を生きるヒントにふれた三日間

2026年10月10日(土)から12日(月・祝)まで、新潟県糸魚川市にて「縄文タイムトラベル2026」を開催しました。

4回目となる今回も、ナビゲーターはアウトドアライフアドバイザーの寒川一さん。
舞台は、縄文時代の大集落跡として知られる長者ヶ原遺跡と、その周辺に広がる森、そして日本海です。

4年目の秋、子どもたちは再び糸魚川へ戻ってきました。
同じ森へ入り、同じ水を汲み、また火を熾す。
けれど、そこで見えるものは、毎年少しずつ変わっていきます。

以前は大人の手元を夢中で見つめていた子が、自分で薪を選び、火を育てる。
自分の火に精いっぱいだった子が、隣の友達の様子に気づき、そっと手を差し出す。

今年は、参加者の多くがリピーター。
同じ場所へ何度も帰ってくるからこそ見える、一人ひとりの成長がありました。

水を汲むこと。
木や石を使うこと。
火を熾し、食べるものをつくること。
海へ出ること。

縄文の人々が自然の中で重ねてきた営みに、自分の身体を重ねてみる。

回を重ねてきた「縄文タイムトラベル」は、自然の中で自分はどう生きるのか、誰かとどう関わるのかを、身体で考える時間へと少しずつ育っています。

Photo : Kaito Chiba

Special Thanks : 美山プロジェクトの皆さま

森の中で、暮らしをつくる

初日は、長者ヶ原遺跡の森から始まりました。

まず向かったのは、縄文時代から枯れることなく湧き続けているといわれる水源。
森の中へ入り、自分たちが使う水を汲みます。

周囲を見渡せば、木があり、枝があり、落ち葉がある。
森に分け入って小枝や薪を拾い、それぞれが自分の火を熾します。

小さな火種が生まれてからが、本当の始まりです。

細い薪を重ねる。
炎の様子を観る。
風の向きを感じる。
火が弱くなれば、もう一度組み直す。

自然は、こちらの都合に合わせてくれません。
だからこそ、自分でよく観て、考えて、手を動かす。

ご飯が炊き上がるまで、子どもたちは自分の火のそばを離れません。
蓋を開けると、白い湯気と、ふっくらとしたつやつやの白米、美味しそうな香り。
自分で炊いたご飯には、猪肉を使ったカレーをたっぷりとかけていただきました。

日が落ちる頃には、竪穴住居の中で焚き火を囲みます。
寒川さんから焚き火の極意を教わりながら、干し柿を火で炙って頬張る。
火の明かりの中に、子どもたちの笑顔が浮かびます。

見上げれば、満天の星。その先には、暗い森が広がっています。
人が火を囲むすぐそばで、獣たちもまた、それぞれの夜を生きている。

数千年前、この場所に暮らした人々も、同じ空の下で、
森の気配を感じながら火を囲んでいたのでしょうか。

 

一日の最後は、宿泊拠点の青海セミナーハウスへ。
広いロビーに大きなテントを張り、子どもたちは寝袋を並べて二晩を過ごします。

寝袋にもぐり込んでも、まだ話し声や笑い声が聞こえる。
一日中、自分の手を使い、仲間と過ごした余韻を残したまま、最初の夜がゆっくりと更けていきました。

森の中には、縄文時代から枯れていない水源が。
少し掘るだけで、縄文土器の破片がたくさん見つかる。

自分の手にあう石を選んで、スパイスをすり潰す。

海と火と、暮らした一日

二日目は、「縄文タイムトラベル」では初めて、朝から日暮れまでを海辺で過ごす一日。

眠い目をこすりながら、早朝から弁天浜へ。
まだ空気の冷たさが残る海辺で、この日は特別に許可をいただき、子どもたちはそれぞれ火を熾してご飯を炊きます

小さな鍋から立ちのぼる湯気。
大きなプレートでは目玉焼きが焼かれ、ソーセージは焚き火の炎でこんがりと。海藻の入った温かいお味噌汁も並びました。

目の前には大きな日本海。
穏やかな波の音を聞きながら、自分で熾した火で炊いた朝ご飯をほおばると、いつもとは違う朝の時間が流れます。

朝食のあとは、丸木舟の体験へ。

長年、縄文文化の研究と実践を続けている山田修さん、海洋クラブの皆さんのご指導のもと、
山田さんが一本の木から作り上げ、自らも青森まで航海したという丸木舟で、日本海へ漕ぎ出しました。

波の揺れを体で受け止め、水面を渡る風を感じます。
目の高さには水平線が広がっています。
縄文の時代、人々はこの小さな舟で海を渡り、物を運び、暮らしの範囲を広げていました。

石を観る

午後は、縄文時代の翡翠の加工所だったとされる寺地遺跡を見学し、
郷土料理の笹の葉寿司を美味しくいただいたあと、
翡翠が拾えることで有名なラベンダービーチへ。

浜辺には、色も形も異なる石が無数に転がっています。

手のひらで重さを感じたり、光にかざしたり。
学芸員の小池さんに尋ねたりしながら、石を観察した子どもたち。

色合いの美しい石。
スパイスを潰すのにちょうど良さそうな石。
ずっと握っていたいような石。
自分の目で観て、自分の手で触れて、その石との関係をつくっていきます。

3日目に訪れた「ホッサマグナ・ミュージアム」では、
ある子が拾った白い石が、なんと10億年前の石英だということが判明しました。

「翡翠より、ずっと古い石だよ。大切にしてね」

その言葉に、子どもたちも大人もびっくり。

昨日まで浜辺に転がっていた一つの石が、気の遠くなるような時間を内側に抱えていた。
手のひらに収まる小さな石から、地球の長い時間へ。

海岸で「きれい」「面白い」と拾った石が、今度は大地の成り立ちを知る入口になりました。

海水を汲み、塩をつくる。

森で育った木は、川を流れ、海へ出て、波にもまれ、いつか浜へ流れ着く。
その流木を拾い、薪にして、再び火を熾す。
海の水は火にかけられ、やがて白い塩になる。

森から海へ。
海から火へ。
そして、食べることへ。

自然の中にあるものを、自分たちの手で暮らしへとつないでいく。

その営みの中に身を置くと、人もまた、
森や海から続く大きな巡りの中で生きていることが、少しずつ見えてきます。

「いただきます」までの時間

この三日間、子どもたちは何度も自分で火を熾し、米を炊きました。

森の中でも、海辺でも。

小枝や薪を探し、メタルマッチで火種をつくり、炎を育て、ご飯が炊けるまで待つ。

火が育つには、薪がいる。
薪になる木には、森で過ごした長い時間があります。

ご飯を炊く水は大地から湧き、塩は海から生まれる。
猪も、魚も、野菜も、その土地の自然の中で育ってきました。

私たちは、その一つひとつを受け取って食べています。

自分で熾した火の上で米が炊き上がり、蓋を開けた瞬間に立ちのぼる湯気。
そのご飯を口にするとき、森や海はもう遠い風景ではありません。

「食べることは、生きること。そして、君たちの命もまた、たくさんの自然の営みにつながっている。」

三日間の食事は、そのことを身体で感じる時間にもなりました。

「縄文には、未来を生きるヒントがある」

今回の宿泊は、青海セミナーハウス(熊対策のため)。
広いロビーに張った大きなテントで、子どもたちは二晩を過ごしました。

二日目の夜。
寝袋に入り始めた子どもたちの輪の中へ、寒川さんがやってきました。

お話は、熊や野生の動物との共存から始まります。

寒川さんがアイヌの人たちと雪の森に入ったときのこと。
彼らは雪や森の様子から、少し前までそこに熊がいたことを感じ取り、その先へ進まないことを選んだといいます。

自然をよく観る。
小さな音に耳を澄ます。
匂いの変化を感じる。
自分の感覚を働かせる。
そして、その土地で暮らす生きものとの距離を考える。

「人も、熊も、森の中で生きる存在です。」

話は、アイヌから、北極圏に暮らすサーミの人々へと広がっていきます。
その土地にあるものを使い、縄文と同じころから受け継がれてきた知恵を生かしながら暮らしてきた人々。

寒川さんが見せてくれたのは、白樺でつくられたカップ。
トナカイの角や革、木を使ったナイフ。

寒川さんは、子どもたちに問いかけました。

「なんで、縄文のことをやっているのだと思う?」

今聞いたことを、すべて覚えていなくてもいい。
何年も経ってから、「あのときのことは、こういう意味だったんだ」と気づく日が来るかもしれない。

寒川さんが伝えたのは、
「縄文の暮らしには、未来を生きていくためのヒントがある」
ということでした。

自分の目で観る。
自分の手を使う。
身近にあるものを生かす。工夫する。
仲間と助け合う。

「困ったときには、縄文の扉を開いてみて」

縄文の人々が自然の中で育んできた知恵が、これからを生きる子どもたちへ。
長い時間を越えて受け継がれていって欲しいと願います。

夜食のバナナを頬張りながら、でも真剣にお話を聞くどもたち。

火から、また次のいのちへ

その夜、寒川さんは、完成したばかりの著書 『火を焚く準備はできている』を子どもたちに読み聞かせてくれました。

テーマは、この三日間、子どもたちが何度も向き合ってきた「火」。

木は燃え、熾火になり、やがて灰になります。
灰は大地へ還り、植物を育て、長い年月の先にまた木となる。
火の前にも、火のあとにも、長い時間が続いています。

自分たちが森で拾った薪。
海辺に流れ着いた木。
その木で熾した火。
ご飯を炊いたあとに残る灰。

一つひとつをたどっていくと、すべてが巡りの途中にあることに気づきます。
そして、その循環の中には、火を焚く私たち自身もいます。

森から薪をいただき、火を熾し、その火で食べるものをつくる。
使ったものは、また自然へと還っていく。

「森、川、海、木、火、人。そのすべての間を、目には見えない時間がつないでいる。君たちもその巡りの中に生きているのです。」

『火を焚く準備はできている』(リトルギフトブック)
「火を見つめることで、わたしたちは何万年も昔にこの地球にいた、
人類の祖先と対話ができる」
”循環の焚き火”を提唱する寒川さんの詩に
nakabanさんが絵を描いた小さな本。

4年目の「全員合格」

最終日の朝。

子どもたちは、最後の火を熾します。
この火おこしは、いわば三日間の「卒業検定」。

場所を選ぶ。
火口を準備する。
薪の太さを考える。
風を読む。

教わったことを一つひとつ思い出しながら、それぞれが自分の火と向き合います。

今年、寒川さんが強く感じたのは、
子どもたちがほとんど大人の手を借りずに火を熾したことでした。

誰かに言われたから取り組むのではなく、
「今度こそうまくやりたい」と自分で考える。
友達より早く火をつけたいと競い合う。
うまくいかなければ、薪の乾き具合を確かめ、場所を変え、もう一度やってみる。
自分が上手くいったら、次は誰かの応援をする。

マニュアル通りには進まないからこそ、自分で考え、身体を使い、試してみる。
寒川さんが「YouTubeではできない、立体的な体験」と話していたのは、まさにこうした時間のことでした。

そして、最後の振り返り。

「卒業検定は、全員合格です」
「君たちのことは、自信をもって弟子と紹介できます」

そんな嬉しい言葉が、子どもたちに贈られました。

火を上手に熾せるようになることだけが、この三日間の目的ではありません。
寒川さんが大切にしていたのは、そのもっと根にあるもの。

火を熾すワクワク感。
自分でつくったものを食べる喜び。
仲間と助け合う楽しさ。
知らなかったことを知り、もっと知りたいと思うこと。

森や海の中で、子どもたちは普段より少し自由な顔をしていました。

火に夢中になる。
石を拾い続ける。
友達と競い合う。
笑い合う。
失敗して、もう一度やってみる。

自分の興味や感覚のままに、何かと真剣に向き合う。
そんな「素の自分」でいられる時間も、このプログラムが大切にしてきたことの一つです。

縄文の扉をひらいて出会ったものが、
いつかそれぞれの人生のどこかで、新しい扉をひらく。

縄文の人々と同じ暮らしを、そのまま再現することはできません。

それでも、火を熾し、食べ、自然の中に身を置き、人と関わる。
そうした営みの中には、時代が変わっても変わらない、人が生きることの原点があります。

二泊三日で、覚えた知識も、いつか忘れてしまうかもしれません。
それでも、

「あのとき、自分で火を熾せた」
「あの海で、大昔の石を拾った」
「あの人の話を、もっと知りたいと思った」

そんな記憶のどこかから、いつか新しい興味が芽を出すことがある。

仕事につながるかもしれない。
好きなことを深く知ろうとするきっかけになるかもしれない。
自然との付き合い方や、人との関わり方を考えるときに、ふと思い出すかもしれない。

この三日間のどこかに、これから先へ伸びていく小さな「根っこ」が生まれていたら。
それが、「縄文タイムトラベル」で私たちが子どもたちに手渡したいものなのだと思います。

プログラムの終わりが近づく頃、ひとりの子が言いました。

「3日じゃ足りないよ。僕は、1ヶ月、いや2ヶ月あってもいいよ」

そして帰宅した子どもからは、「明日が、はやく来年にならないかな」という言葉も届きました。

三日間が終わったあとにも、もう続きを待っている。

その言葉の中に、この時間を子どもたちが心から楽しんだこと、
そして何かを持ち帰ったことが、いちばん素直に表れているように思います。

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