<対談> 若木信吾さん

2023.07.25

<対談> 若木信吾さん

写真家・若木信吾さんが語る
子どもたちの自由な視点と写真表現の可能性

今回の対談では、写真家の若木信吾さんをゲストに迎え、幼少期のエピソードから作品制作で大切にされていることは何かなど語っていただきました。後半では、今夏8月5日に開催される体験プログラム「自然のリアルとファンタジー」の魅力とコンセプト、写真というアートの行為を通じて参加者に感じて欲しいポイントについても触れています。ぜひご一読ください。

Photo : Kazuki Matano

若木信吾(Shingo Wakagi)

1971年静岡県浜松市 生まれ。写真家・映画監督。ニューヨークロチェスター工科大学写真学科卒業。雑誌・広告・音楽媒体など幅広い分野で活動中。雑誌「youngtreepress」の編集発行を務め、浜松市の書店「BOOKS AND PRINTS」のオーナーでもある。映画の撮影、監督作品に「星影のワルツ」「トーテム~song for home~」「白河夜船」(原作:吉本ばなな)などがある。202310月福岡で個展開催予定。

http://www.shingowakagi.net/

 

三枝: 実は私、コロナの真只中のある日、朝起きて突然、趣味が全くないことに気づきました。そのまま大型家電屋さんに行ってカメラを買いました。

 

若木さん(以下敬称略): 何を買ったんですか?

 

三枝:憧れの赤いマーク(ライカ)を見つけてしまって(笑)。でも使いこなせなくてすぐにFUJIに買い換えました。今では趣味として楽しんでいますが、カメラって難しいですね。素人が表現しようとすると、ただの記録に近いものになるだけです(笑)。

 

若木: でも、記録こそが写真のオリジナリティですからね。写真はアートとしての要素よりも、ドキュメントとしての役割が大きいです。新聞もそうですし、色んなものに写真が使われています。だから「表現をしよう」と構える必要はないと思いますよ。写真は考えすぎると難しくなるので、気軽に楽しんでみてはどうでしょうか。

 

三枝: そうですね。今はスマホでも簡単に写真が撮れる時代になりました。今回の若木さんとのプログラムでは、写真を撮ることの本当の楽しさを子どもたちや親御さんに感じてもらえると嬉しいと思って企画しました。

若木さんは写真家・映画監督として活動されています。まずは、幼少期のエピソードや、写真家としての若木さんの形成に影響を与えたこと、写真や芸術に興味を持つきっかけになった瞬間や経験があれば教えていただけますか?

 

若木: 子供の頃は意外に、折り紙やあやとりなど、手を使う遊びが好きだったんです。おもちゃがたくさんあった時代でしたので、プラモデルやラジコンも一応やってみましたがそれはイマイチ。自分の手で何かを作るのが好きでしたね。実は、私の祖父は木工をしていました。私が彼と接する頃にはもう引退していましたが、それまではヤマハのピアノの足になる木を削っていました。家には道具がたくさんあり、それを使って木製の箱を作ったり、引き出しを作ったりしていました。そういうのが面白かったんです。

写真について言えば、私が小学生の頃というのはフィルム写真を撮ってすぐにプリントできるようになった時代でした。それまでは、写真屋さんが一枚一枚手で焼いていましたが、その時代から大きく進化して、気軽に写真を撮ることができるようになりました。その時、たまたま家にあったカメラを手に入れて、学校に持っていって友達を撮り始めました。

三枝:それはお父さんのカメラですか?

 

若木:家族の記録用に祖父が買ったカメラです。気軽に記録できるし、写真館に行かずに済むといって買ったもの(笑)。でも結局撮らなくて私の手に。撮ったものがすぐに写真になるのが面白くて。
クラスには内気な子やカメラを意識してくる子などいろんなタイプがいるんですよ。元気な子はポーズもいろいろしてくれるし撮りやすかったですね。でも意外に内気な子でも、一人でいる時にカメラを持って話しかけて「撮らせて」と言うと、すごくいい表情をしてくれるんです。

その頃は、40人が7クラスとかの時代。生徒が多すぎて、写真館の人からすると、大人しくて目立たない子は目に入らない。でも私は、自分のクラスの子たちの顔と名前を全部知っているので、誰が写っていないかは分かるんです。だから、その子に「写真撮らせて」と言ったら、今まで見たことのないようないい笑顔をカメラに向けてくれるんです。それを見て「平等」というか、どんな子でも個性があり、子どもなりに「あいつも意外に素敵なものを持っているな」と気づいて、それが面白かったんですよね。

 

三枝:それはすごいことですね。小学生の時って目立つ子が必ずいるからその分、印象の薄い子が出てしまいますね。そういう子にもしっかりスポットを当てたんですね。
小学生の頃からそういう気づきを持って写真を撮っていた。今の写真にもそれが影響しているのですか?

 

若木:かなり影響しています。だから、どう写るかというよりも、カメラを通じて普段見られないものが見えるという感覚がずっとあります。カメラさえあれば自分の視野の外にあるものを見ることができるという感覚は常に持っています。

 

三枝:そうですね。私も最近、それに気づきました。

 

若木:楽しいですよね。

 

三枝:楽しいですね。私も普段からちょっとしたカメラを持ち歩くようにしていて、こういう話を聞いたりしている時に撮ったりすると、確かに今おっしゃるような表情を見せてくれることがあります。

 

若木:カメラを向けると、普段はこんな顔みたことないという表情を見せてくれるんです。それが私のベースだと思います。

三枝:小学生でそういう写真を撮ることの面白さや素晴らしさに気づかれたわけですが、その後、成長する過程で写真について学べるような人に出会ったり教えてもらったり、そういった環境はありましたか?

 

若木:そうですね。本格的にやろうと思ってから大変だったのは、フォトコンテストのようなものがあるんですよね。 少し卑しい話ですが、賞金目当てにいろいろなコンテストに応募するんですけど(笑)、だんだん欲が出てきて撮れなくなってしまったんです。最初は賞をもらえるんですけど、次第にだんだんダメになってくる。

 

三枝:あら。そういうことがあるんですね。狙いすぎてしまうんですか。

 

若木:狙いすぎたり、他の人が賞をもらっている写真を見て「こう撮れば賞をもらえるかも」と思ってしまうんですよ。

 

三枝:テクニカルな感じになってしまう?

 

若木:自分の視点ではなくなってしまった。なんとなくコピーというか、お手本をさがしてしまうようになってしまって。そういう沼にハマってしまったんですよね。でもそのうち、私たちの時代はヨーロッパやアメリカの写真がポストカードとして流行っていましたから、さまざまな外国の写真を雑誌やポストカードで見ることができて。お手本が急に変わったんです。

最初のお手本はフォトコンテストに出ていたおじさんたちの写真だったけれど、急にヨーロッパの「写真家」と言われるようなラルティーグやブレッソンといった人たちの写真を目指すようになったんです。どちらにせよお手本をコピーしてしまうことには変わりはないですが、でも、その感動はぜんぜん違う。「ああ、こういう写真がいいな」と思えるものにどんどん出会えるようになっていきました。

 

三枝:なるほどね。それによって見本が変化し、また若木さんにも大きな影響を与えるようになったのですね。モノクロもやっていたんですか?

 

若木:そうそう、モノクロもやっていて、自分で現像もやるようになりました。 でも、田舎に住んでいたので、被写体があまりいいものではありませんでしたけど。おしゃれな猫がいたわけでもなく(笑)。
友達は学校で撮って家に帰ると親は共働きで祖父しかいない、それで祖父を撮り始めたんです※。

 


※その頃からの祖父を撮り続けた作品をまとめたのが、1999年に刊行した『Takuji』

 

三枝:写真家として生きていくことを決意されたのはいつ頃ですか?

 

若木:中学校くらいですかね。そのフォトコンテストで賞をもらってから(笑)。写真が撮れればお金がもらえると思っていました。めちゃくちゃ単純ですけど(笑)。

 

三枝:なんと!私もそうでしたけど、大学を卒業しても何をすればいいかわからない人が、今でもたくさんいます。そんな中で若木さんはすごく早いですよね。

 

若木:競争相手がなかったんですよね。その年頃の子たちはおそらくプラモデルを作ったり、ラジコンを作ったりといった、競争相手がたくさんいる方向に行くんですよ。でも、ゲームが上手いと言っても上には上がいる。写真はその当時、誰もやっていなかったんです。

 

三枝:でも世の中には写真家はいましたよね。

 

若木:もちろん世の中にはいましたけど、身近にはいなかったというのが結構大きかったんです。

 

三枝:当時の写真は残っていますか?

 

若木: 100枚ほどはあるかな。探しているんですけど、なかなか見つからないんですよね。今撮る量に比べたら全然少ないんですけど、子供の頃はたくさん撮ったつもりでした。あれも撮ったり、これも撮ったりしていたけど、実際はフィルムが5本くらいで(笑)。

 

三枝:フィルム撮りは1枚1枚が貴重でしたからね。
私の娘の話ですが、大学卒業記念に何か買ってあげようと思って、写真を撮ってみる?と聞いたら「撮りたい」って。デジタルかと思ったら「フィルムが欲しい」と言うので、銀座にあるレモン社で買ってあげました。

 

若木:そうでしたか。あのお店は本当にお世話になりました。ライカを買ったんですか?

 

三枝:まさか。ニコンです。でも、フィルムっていうのがちょっと意外だったんですよね。 最近話題にもなっていますよね? カセットテープのような時代に再び戻ってきているのかもしれません。

 

若木:デジタルで育っている子たちからすれば、逆に新しいものだと感じるのかもしれませんね。

三枝:写真の世界はこれからどういう風になっていくのでしょうね?
若木さんも、もちろん面白いことをデジタルでなさっていると思いますが、フィルムからデジタルへ若木さん自身のシフトは大きかったですか?原点としてはあまり変わらなかったりしますか?

 

若木:原点としては撮ることや被写体との関係性など、特に狙って対峙してシャッターを押すという単純でシンプルなものは変わらないと思います。被写体に 自分で声をかけなければいけないこともあるでしょうし。 そこはカメラ以外のコミュニケーションみたいなものだろうし、そこから単純に光をレンズを通して覗く感覚みたいなもので、新しいものを発見するようなことは変わらないと思います。
ただその後の、セレクトを多くするということや、たくさんシャッターを切ったり、後で加工したりすることによって、写真がどんなものにでもなれるという点ではかなり変わりましたね。

フィルムの時はその特性が決まっていて、いじることができませんでしたからね。 でもそのおかげで絞りを上げれば光が飛んでこっちは明るくなるけど、こっちは暗くなるといった固定されたコントラストがありました。でも今はシャドウだけ持ち上げたり、後からいろいろな加工ができるんですよね。

とはいえ、私は写真を「見たものに対しての加工」だと思っています。 フィルムで撮った「写真」に対してどう加工するかというイメージで取り組んでいるんですが、フィルムを撮ったことがない人にとっては、雑誌で見たりウェブで見たりテレビで見たりイラストで見たようなものに合わせるのが普通だと思います。 だから、「アニメのような雰囲気にしたいなと思えばそれはできる」と普通に考えてしまうんですよね。私たちは「それはアニメに加工しているんだよね」と言うけれど、彼らにとっては写真をアニメ風にするのは別におかしくないと思う。でもそうなると「写真」ではないんです。彼らは、画像の素材というか元になるものが写真であっても、そこからどう変えていってもいいと思っていると思いますが、私たちからしたら不自然だし、本当のベースになっている記憶の部分はやはり作用しているんだなと思います。ちょっと難しい話になってしまいましたね。

 

三枝:いえいえ。さっきの話と関連してるかもしれませんが、人間の関係性、日常の美しさなどを捉える若木さんの作品の表現のベースにあるコンセプトは何ですか?

 

若木:結局、常に考えるのは、自分が見たものに対する信用度、つまり自分がどれだけ信じているかということです。お手本があるとか、こういう風に撮りたいと思うものがあってそれに寄せて作品を作ることはできますが、本当は自分がどう見ているのかということ。素の自分の視点を正しくないと思ってしまうことが一番の問題その視点をどういう風な表現に持っていくかというのが、オリジナリティを出すための重要な要素だと思います。

子どもたちの素晴らしいところは、自分が見たままを撮れること。お手本がないから「見ている通りに撮れている」と思えるんです。 でも大人は「何かが違う」と思ってしまう。それは見ているものを撮る時、頭の中にあるイメージに合わせようとしているからで、結果ああだこうだと手を入れたくなってしまう。

 

三枝:その通りですね。

 

若木:子どもはただ、「ああ、綺麗」と見たまま撮って、「ああ、写ってるわ」というだけ。それで終わりなんです。子どもにとってはシンプルなこと。何も欲求がないから。でも、写真に興味が出るかどうかはそこで決まってきますよね。そのことに対して面白いかどうかと思えるか

 

三枝:若木さんが撮られている写真も、常にそういうことを意識しながら、どんなシチュエーションでもそれを心掛けるということですね。

 

若木:仕事に関しては、さまざまな人の視点を写真で作らなければならないから、あっちからこっちから撮ってみますが、本当は、ただ普通に歩いていて、パッと見て「あ、すごい、綺麗だな」と思ったらその場で撮りたい。そこ自体は誰も来れない場所で、他の人は同じようには絶対にできないことだから。そこを切り取る。そこを一番信じられるかどうかが非常に重要なんです。

 

三枝:「信じる」という言葉が重たいですね。今この話を聞いている自分が信用できていないような気がしますが(笑)。

 

若木:そんなことはないと思いますよ。

三枝:写真はその瞬間を切り取るものですよね。映像や動画も基本的なベースは同じですか?

 

若木:そうですね。動いているかどうかはもちろん異なりますが、視点の意味では同じだと思いますね。 自分が何をどう見ているか、それがオリジナルだという意味です。 でも、なかなかそれが一番難しいです(笑)。 そこに自信を持つことは。

 

三枝:さっきのフォトコンテストの話もそうですもんね。
写真を通じて、観る人にメッセージを感じてもらいたいという思いとか、写真を通じてのストーリーテリングなど、若木さん独特の視点やアプローチについて教えていただけますか?

 

若木:写真を通してコミュニケーションを取る際には、言葉を使わずに伝えることが多いですよね。見るだけでわかる、という考え方が一般的ですが、実際には見てもわからないことが多いと思います。ただシャッターを押しているだけですから、その写真が何の情報を伝えているのか、何が写っているのかということは、説明が必要な場合もあります。
写真家はみな自分自身が何かのストーリーを持っていて、写真を通じてそれを伝えているんです。それが伝わった途端に親近感を感じたり、納得できるようになることがあります。写真というのは情報量が非常に多いものです。自分が見ている以上のものが写真に映ってしまうからです。そのため、他の人たちは異なる情報を見ていることが多いのですね。

 

三枝:写真家の意図とは異なる視点で写真を見てしまうこともあるということですね。

 

若木:でもそこが写真の魅力であり、深みがある部分でもあるんです。例えば、自然の中で蝶々を写真に撮った場合、それを見る人は「きれいな蝶々だね」と感じる人もいれば、「これは何という種類の蝶々だね」と興味を持つ人もいます。また、撮影者自身にとっても、全く異なる意味で写真を撮る可能性があるのです。花を撮っていたら偶然蝶々が映っていたかもしれません。その違いをどのように説明するかということも考える必要があるかもしれませんね。
でも説明ができたからと言って、その人が優れているというわけではなく、それはコミュニケーションの手段の一つだと思うんです。大切なのは、「そういうふうに思っていたんだね」という気づきや共感を得ることだと思っています。

三枝:写真を撮ることは、誰かが写真を見ることをきっかけにさまざまな視点が生まれ、コミュニケーションや相手を知ることに繋がるということですね。
今回のプログラムでは、子どもたちにはまず自然な状態で、そのとき感じたありのままを撮影してもらいたいと思っていますが、若木さんの視点で、写真や映像を通じて子どもたちに感じてほしいメッセージや思いがあれば、教えていただけますか?

 

若木:ただ単に撮ればいいというわけなく、絵画のように描き方を教えればいいというわけではありませんから難しいですね。写真はシャッターを押すだけという簡単な行為なので、そのテクニックに囚われるよりも、見たものに共感し合っていく方が良いのではないかと思います。特に子どもたちは、そこに興味を持てるのかなと感じています。

 

三枝:教えすぎてしまうと、子どもたちのクリエイティブな表現が失われてしまうことがありますよね。写真を撮る行為はシャッターを押すだけという非常にシンプルであるが故、今回のプログラムでは、本当に子どもたちの純粋な感性で素材を遊べたらと思います。

 

若木:おそらく、今回は小学生でも中高学年向けになると思いますが、自分の中でストーリーテリングができるような子どもたちの年齢ですね。そこで重要なのは、自分自身の世界観が既に形成されていることです。彼らがカメラを覗くときに、自分の世界が存在していることに気付くはずです。目線が一つに絞られて、自分しか覗いてない世界に入れる。つまり自分だけが見ている世界に集中できる瞬間は、非常に貴重で重要です。それは自然との一体感と言えるかもしれませんし、自分と外界、自分と世界の調和が生まれる瞬間です。その瞬間にシャッターを押すことができればいいのです。

なんて、まるで言っていることがお坊さんのようですね(笑)。ただ、そこまで深く入り込むことは難しいですが、でも、「これいいな」と感じてシャッターを押す瞬間、その感覚はもっと深く探求したいですね。

 

三枝 : 確かにそうですね。そうやって撮った写真をソニーPCLさんの大スクリーンに映し出すという体験で、さらに子供たちがどんなことを感じるのか、興味深いですね。今回のプログラムのもう一つのユニークなところです。

 

若木:サイズ感の逆転の体験は非常に面白いと思います。以前は写真をプリントしないと撮影したものを確認できなかったし、モニターでも世界が小さくなって入っている感じしかしなかったですよね。でも、今回のプログラムでの、自分が撮った世界が巨大になって迫ってくる感覚というのはこれまで経験したことのないものですから、非常に魅力的だと思います。

そんな今回のプログラムのポイントとしては、親御さんは、見守ってあげるといいかなと思います。写真を撮っている子どもをどう観察するか、親の視点も大切です。 普段から一緒に過ごしていると、子どもが何を見ていて、何を考えているのか、一番親がよく知っていると思いますが、こういうシーンでは「何撮っているの?」と問い詰めてしまうのではなく。子どもはうまく言葉説明できないかもしれないけど、「そっちじゃなくてこっち撮りなさいよ」なんて言っちゃダメ。

 

三枝: そうですね。子育てではよくあるパターンです。我々も意識しておかないといけないですね。特に今回のプログラムでは、子どもたちが本当に自由に自分の感性に向き合える環境を作りたいので、親御さんも距離を置いて見守っていただけたらと思っています。

若木 : 親御さんは結構大変だと思いますけど、とにかく褒める。写真が完成した時に、何をどう褒めるかを考える。そこは非常に重要だと思います。

 

三枝 : おっしゃる通り。温かく見守る時間も必要ですね。

以前、子供服の顧客のご家族たちを長野の里山体験にお連れしたことがありました。その時親御さんに最初に言ったのは、「この一泊二日の間は子どもを叱らないでください」ということでした。都会ですと子どもが騒いでいると周りの目を気にして怒ってしまいますが、里山では自由に騒いでも何も言われない環境です。子どもたちが自由に自分を表現できる場所を作りたかったんです。
親が介入しすぎることが問題になることもありますが、都市部で暮らしている子どもたちには事故に遭わないように注意を払わなければならないという事情があるのも事実。のんびりした田舎暮らしに移ることはなかなか難しいですし、色々な制約もあります。ですからせめて、私たちのプログラムに参加している間はできるだけ子どもたちを解放してあげたいと思っています。自然に連れて行くプログラムなども開催して、子どもたちが自由に自然と触れ合える時間を作りたいんです。その時は、親御さんには少し距離を置いてもらって、新しい子どもの側面を見ていただけたらと思っています。

若木 : なるほど。子どもたちが自由な本来の姿になれる環境を作りたいですね。そうすれば、本当に素敵なプログラムになると思います。

そうそう。当日は地面に寝っころがっても大丈夫な服装で来てもらいましょう。
今回のプログラムではカメラではなく、身近にあるスマートフォンを使用します。スマートフォンのカメラでも自分の内面や感じたことを表現する道具になります。
まずは地面を転がって、気持ちいいと思った時にシャッターを切ってみる。そうするとお空や地面が新しい視点で見えてきたり、子どもたちが感じるものを写真に表現できます。そのような環境を作っていこうと思います。

 

三枝: なるほど。シャッターを押したくなる瞬間に構えたりしない。自由な視点が目線を変えるきっかけになるので、まずは寝っころがってみましょうと。面白そうですね。
スキルを教えるのではなく、シャッターを押したくなるタイミングを教えるということですね。それを自分で掴む方法や感覚にどうやって気づくか、それが大切な要素ですね。

 

若木 : 特に高学年にもなると親の期待を気にしてしまうがあまり「何をしていいのか」と迷うこともあるでしょう。子どもたちの感性は大人を驚かせることが本当に多い。それを大人がどう捉えればいいのか、なのです。大人が自分の価値観で理解しようとしてしまわずに。そこをどう変えていくかですね。親御さんも子どもたちを見守る中で、一緒に寝転がったりすることも大切かもしれないですね。

終わり

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