2021.09.01
<対談> 内田 まほろさん
*この対談は、2021年9月に公開されたものを再掲載しています
キュレーターのお仕事を「天職」と言う内田まほろさんは、サイエンスとアートをつなぐ、これまでにない新しい科学館のあり方を具現化するプロジェクトを多数手がけてこられました。今回は日本未来科学館にお伺いして、内田さんが手がけられた「問い」をなげかける展示を実際に拝見しながら、これからの時代を見据えた理想の「子どもたちとの関わり方」とはどのようなものなのか、お話をお伺いしました。
Photo : Yoshihiro Miyagawa
内田まほろ(Mahiro Uchida)
キュレーター、展示プロデューサー。日本科学未来館 展示スーパーバイザー。
デジタルアーカイブ研究、メディアアートキュレーターを経て、2002年より日本科学未来館に勤務。常設展ではシンボル展示『ジオ・コスモス』や『アンドロイドー人間って、なんだ?』『計算機と自然、計算機の自然』、企画展では『時間旅行展』『恋愛物語展』『チームラボ展』『GAME ON展』などを担当。大胆なアート&サイエンスのプロジェクトを推進する。
2005~2006年に文化庁在外研修員として、米ニューヨーク近代美術館(MoMA)に勤務。バービカンセンター、ミラノトリエンナーレ等、海外ミュージアムにも企画参加する。現在は、文化施設の新設プロジェクトに参画中。
三枝:展示のご案内をありがとうございました! 遊びと学びが見事に融合した、大人の私でもワクワクするような空間でした。展示内容の素晴らしさはもちろん、「展示は答えを教えるものではなく、問いを考えるためのもの」というポリシーにとても共感を持って、楽しく拝見いたしました。
世界的なパンデミックが起き、ますます先の読めない世の中になりました。安泰と言われていた企業だってこの先どんなことになるかわかりません。一方、今、世の中には新しくて面白い仕事が次々に出てきています。若者たちが新しい価値観をもって、それにどんどんチャレンジしてくれるようになれば、日本もきっと面白い社会になっていくでしょう。
いま弊社は「子どもの本物体験」をテーマにした新しい事業の検討を進めています。弊社が提供する体験が子どもの感性の開花や気づきに繋がり、そんなチェレンジ精神を培うお手伝いになればいいと思っています。そういう点では、内田さんのお仕事に非常に近しいものがあります。
内田さん(以下敬称略):楽しんでいただけて良かったです。そうですね。私も、小さな頃の体験はその子の人生に何かしら影響を与えると思っています。これまでの詰め込み型の教育だけでは、どんどん変わる世の中についていかれない子も出てくるでしょう。
メディアアーティストの落合陽一さんが総合監修する、人気の常設展示「計算機と自然、計算機の自然」。
「ノーベルQ―ノーベル賞受賞者たちからの問い」では、未来館を訪れたノーベル賞受賞者たちからの、個性豊かな問いかけが紹介されています。
三枝:まずは、読者の方のために、内田さんのお仕事についてお話いただけますか?
内田:私は慶応大学SFCを卒業後、フリーランスのメディアアートキュレーターを経て、2002年に科学と文化をつなぐ”文化係”としてここ(日本科学未来館)に入りました。ヒューマノイドロボットのASIMOと同期です(笑)。
科学の世界をもっと豊かにいい環境で伝えるために、アートやデザインの分野を持ち込んでイメージを変えていくというのが私の役割でした。そこでまずは、殺伐とした空間を居心地のいいものにすることから始めました。それまでの未来館にとっては異質の取り組みでしたが、当時の館長・毛利衛(現、名誉館長)の後押しもありスムーズにいきました。カフェの設置や、未来館のシンボル展示である地球ディスプレイ「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」の下に寝そべって見上げられるオリジナルソファも作りました。今はコロナ対策でご利用いただけないのが残念です。
デザイン、アートといった要素を取り入れていったら、来館する人も変わってきたし、楽しみ方も変わってきました。科学にもデザインやコミュニケーション、アートの思考が重要だという事が認めて貰え、企画展や常設展も担当するようになりました。
三枝:そこでまさにジャンルを超えた化学反応が起きたのですね。
実際、科学館と聞くとクールで難しいイメージがありましたが、とても居心地がよく、科学館やミュージアムといった定義を超えた印象を受けました。
内田:企画展というのは、常設展よりも自由度があります。そこで、例えば20代〜30代前半の女性など、科学館にはなかなかいらっしゃらないような方達に間口を広げるためのチャレンジもしてきました。科学と恋愛、科学とアートなど、一見、接点がなさそうなものを組み合わせる事で科学館を面白くしたい、理系と文系の境界線をなくしていきたいということをやってきた結果、今ではそれが未来館のスタンダードになっています。スタッフも今では文系の出身者も半数くらいにまでなりました。
三枝:日本の社会全体に言えることですが、バックグラウンドが理系か文系かで分断されてしまいがちです。これからは業界や専門の垣根を外したイノベーションをしていかなければいけない。それを実現されて、科学好きな人だけしか来ない状況を変え、客層を広げられたというのは素晴らしいですね。
内田:でもそれは一担当だけで出来ることではなくて、館長の毛利が強く推進した「科学を文化として捉える」というビジョンに上手くはまったという事です。
今は、未来館を一旦退職しまして、高輪ゲートウェイに2025年オープン予定の文化施設の事業に参加しています。立ち上げに関われるのはそうある事ではないので、とてもワクワクしています。未来館には、これからも展示のスーパーバイザーとして関わっていく予定です。
その文化施設は多様性をもった新しいタイプの文化施設になる予定です。科学館や美術館、歴史博物館という概念を変えていく存在にできればと思っています。伝統文化と先端技術を掛け合わせたりということも考えています。高輪ゲートウェイ駅の再開発用地では、明治5年に開通した横浜―新橋間の鉄道の遺構「高輪築堤」が見つかりましたよね。築堤は、国内初の鉄道を通すため当時の海岸線に並行して浅瀬を細長く埋め立てた跡になります。築堤や明治についても展示などで紹介したいと思っています。
三枝:新しいタイプの文化施設ですか。とても楽しみです。
銀座は明治5年の大火を機に、明治政府によって西欧風の煉瓦街に生まれ変わりました。世界に通用する街として国家予算の13分の1を使って開発され、西欧からの輸入商品や新しい商品を扱う商人たちが次々と店を開いたそうです。弊社もそのひとつです。鉄道は横浜港と銀座をつなぐ物流手段でしたので、唐物商を営んでいた弊社にとっても深い関わりがあります。ですから、「高輪築堤」が見つかったというニュースは感慨深いものがありました。
内田:私たちが学生の頃の歴史の教科書では、明治時代の記述のボリュームがすごく少なかったですよね。開国、明治維新、文明開花、日清日露、世界大戦くらいです。でも本当はあの頃はものすごく豊かで面白い時代でした。150年前の日本のイノベーションって本当にすごいと思うのです。明治3年に案が出てすぐ着工、明治5年には列車が走っていたのですから。
列車は馬と自動車の間の交通文明ですが、あれよあれよという間に鉄道が出来て列車が走り始めたというのは、西洋の文明を全く知らない庶民にとって、今の感覚で置き換えると「ある日突然、目の前でロケットが打ち上げられた」くらいの驚きに近かったのではないかと思います。もしかしたらそれ以上かも。
三枝:そうでしょうね(笑)!その横にはまだ刀を差して丁髷を結っている人もいた時代ですものね。実は父が銀座の歴史を長年研究しておりました。その膨大な資料を弊社の文化事業室で所蔵しています。その資料をご覧になると当時の様子がよくお分かりになると思います。今度ぜひ遊びにいらしてください。
内田:それは素晴らしいですね。いつかコラボができたらいいですね。
未来館の話に戻りますと、開館当初は大人向けの施設でしたが、今は子どもたちが来ても楽しめる施設になりました。見ていただいてお分かりになったと思いますが、展示内容を子どもに合わせているのではなく、年齢に応じて段階別に興味を深められるよう工夫しています。
未来館が伝えようとしている先端科学技術はすごく難しいものです。研究成果をそのまま数字で提示したら、それがどんなに素晴らしい発見だったとしても一般の人には伝わらないですよね。
それで、2016年の常設展示の大リニューアルでは「未来館は答えがあるところではなくて、問いを見つけるところです」というコンセプトを掲げました。
三枝:先ほどご案内していただいた時、「メッセージを押しつけるのではなく、その人の心の中にちゃんと考えが湧いてくるようなアプローチを大切にしている」とご説明くださいましたが、確かに、自分が答えを考えながら展示をみる事で、科学者が感じた発見の感動を共有することが出来るようになっていると感じました。宇宙飛行士のサイン入りのパネルや、ノーベル賞受賞者からの問いかけメッセージの展示なども、彼らと対話をしているような感動を覚えました。
内田:携帯のAI機能や検索で答えがますます簡単に手に入るようになり、「考える」ということが疎かになってしまうことへの危機感がありました。
答えを問われる方が余計に難しいと思われる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、特に成長期の子どもにとっては、何でもかんでも答えがあってクリアなことよりも「考える」ということの方がとても大切です。仕事で上司にいちいち「これは、どうすればいいですか?」と聞くような大人にならないためにも(笑)。誰かが考えたことをやるしか出来なくなってしまうと、これからの複雑な世界を生き抜いていかれないのではと思うのです。
三枝:「問う力」というのがこれからますます必要になってくるのでしょうね。
内田:はい。人生100年時代に合わせて、生き方の概念が確実に変わってくると思いますが、子どもだけではどうしようもない。親が手を貸さなければ子どもは変われないのです。
それで、未来館の「“おや?”っこひろば」では、お子さんたちにではなく、親御さんたちにここではどう過ごして欲しいかを伝えるようにしました。そこでのルールは例えば、子どもの試行錯誤を邪魔しないように「先回りをぐっとこらえる」や、子どもの変化を見逃さないよう「いっしょにあそぶ」とか。
都内では一人っ子が多いというのもあって、親が子どもに関わりすぎる。そして放っておきながら見守るというのが苦手な方が多いように感じます。それを親御さんにまず気づいて欲しいのです。
「ジオ・コスモス」を取り囲む、全長125mの回廊「オーバルブリッジ」にて。
三枝:本当におっしゃる通りだと思います。
さて、慶応SFCご出身と言う事で、あそこは優秀でユニークな人材を大勢輩出していますから「やっぱり!」という感じですが(笑)、もっと小さい頃からのお話をお聞きしたいと思います。幼少期に今の内田さんを形作るきっかけや影響があったのでは推測しています。
内田:母が理系の研究者、父が文系の人でした。母は研究所勤めですごく忙しい人だったので、週末に子どもと遊ぶのは父の役割でした。女性は家にいて子供を育てる役割という固定観念がない家でしたし、私の中でもそういう感覚は無いまま大人になりました。そして両親をサポートするために両祖母が大阪と名古屋から交代で来てくれていました。ですから私は母親のような人が三人いる状態だったんです。それも今考えるとすごく贅沢だったと思います。明治生まれの祖母と大正生まれのもう一人の祖母、昭和生まれの母。三人が作る料理もそれぞれ違いました。そういうことも影響があったのかな。
私は科学的なものの見方は子どもの時の経験によって身につくのだと思っています。ですから、展示では「親御さんとの会話が大事です」ということを伝えようとしています。
例えば、一緒にお風呂に入っていて「ぶくっ」って泡が出来るとします。そのとき「どうして泡が出来るのかしらね?」という会話をするかしないかで、その子にとってのお風呂の時間の意味が変わると思うのです。日常生活の中で親が世界をどう見ているか。どうやって世界が成り立っているのかという話を、些細なことをきっかけに、普通の会話として親子で出来るかどうかは、正しい日本語を教えることと同じくらい大切だと思っています。
そういう意味では、私は母が理系の人でラッキーだったと思っています。
私自身がどんな子どもだったかと言うと、おままごとよりも男の子の遊びが好きな子どもでした。物の仕組みにすごく執着していて、クリスマスかお誕生日に貰ったスヌーピーの時計も、翌朝にはバラバラに分解していました。プレゼントに“はんだごて”をリクエストしたくらいです(笑)。電気屋さんが家電を修理してくれているのを何時間でも飽きずに見続けられる子どもでした。
三枝:やっぱり(笑)。小さい時からそういうことに興味があったのは確実にお母様のDNAですね。
内田:そうですね。科学的なものの見方は母譲りだと思います。一方で、父は大学時代に童話を読むサークルにいてパフォーマティブな妄想系の人でした(笑)。だから、父が読み聞かせを担当してくれていました。私がコミュニケーションを取るのが得意なのは、観光の仕事をして全国を飛び回っていた父譲りなのだと思います。
小4の時、背中に腫瘍が出来てしまう大きな病気にかかりました。すごく体が痛くて、体育は見学、ランドセルも背負えない、学校も休みがちという生活になりました。幸いなことにいじめにはあいませんでしたが、みんなと同じ行事に参加できないという経験をしました。
でも振り返ってみるとそれが良かった。一年で本を何冊読めるかとか、いかにして遠い病院まで短い時間で行けるかとか、自分の生活をゲーム化して体を動かさなくても出来る楽しみを見出すことを覚えました。その経験が今の自分を作ったのだと思っています。
未来館のシンボル展示「ジオ・コスモス」は、1,000万画素を超える高解像度で、宇宙空間に輝く地球の姿をリアルに映し出します。
三枝:辛さを乗り越えるためにいろんなことを自分で考え、想像力を鍛えられた。と言うことですか?
内田:いえいえ、子どもですから、そんなに沢山の事を考えたりしていた自覚はないです。もちろん初めは人と一緒にやれないということは嫌だったけれど、それを「人と違っていてもいい」と捉えられるようになったというのが、良かったと思っています。だから中学生の頃には、人とは違ったことを企画するのが大好きになっていました。
高校生になる頃には体は良くなっていたのですが、今度は好きだった数学が苦手になってしまいました。数学1では記号や公式を丸覚えしなければなりませんよね。それはなぜ?って嫌になってしまって(笑)。でも幸い、通っていた英語の塾が「留学は高校からすべき」という方針だったので、高校3年生の夏休みから1年間アメリカへ留学しました。ですから卒業が他の子達とずれて卒業式には出なかった。日本の受験勉強はやりたくなかったというのがあって、アメリカの大学へいくつもりだったところ、慶應大学のSFCの存在を知り、英語と論文だけで受験しました。一校しか受けてないので普通の受験とは少し違いますね。卒業後は友人のベンチャー企業の立ち上げを手伝ったりしていたので就職活動もしていない。未来館に就職後も可能な限り兼業や勉強を続けてきました。とにかく小学校の時から周りと同じ事をしてこなかった人生です(笑)。
三枝:内田さんはまさに、クリエイティブに力強く正しく生きる事例だと思います。
日本はまだ、いわゆる王道崇拝から脱却出来ていませんよね。有名大学を出て有名企業に就職したからといって、必ず幸せな人生を送れるという保証はないのに。理想化された社会のレッテルと実際に生きる事の差というものを感じます。内田さんが自らの感覚を信じて、切り開いてこられたオリジナリティのある経歴と人生がとても魅力的だと思いました。
内田:ありがとうございます。そちらを選ばざるを得ないシチュエーションもあり、全てが自分の意思なのではないし、今の結果を想定して選んできたわけではないのですけれども。
三枝:それでも、その方向性にちゃんとオリジナリティがあった。ひとつひとつの選択の集積が今を作っているのは事実ですよね。また、内田さんの周りにいらした大人の「子どもとの関わり方」からの影響が大きかった。
人生100年というこれからの時代、受験の成功よりも世の中にはもっと大切なことがあると思うのですけれど、そこに囚われすぎている親御さんもまだまだ多い。初めはそうなるまいと思っていても、情報が回るのが早くなった分知らず知らずのうちに巻き込まれたり。ますます王道化が加速しているようです。
内田:名門幼稚園から大学までと言うのは、良い面もたくさんあるとは思います。でも、同じような環境で育った子達しか周りにいないというのは、子どもの頃に世の中の多様性を経験出来ないということでもあり、それはとても残念なことなのではとも思います。
世の中には色々な人がいるし、面白いことも沢山ある。私はこれまで、それらと出来るだけ関わりたいと思って機会を拡げてきました。
今の世の中は、様々な分野が分断されていてつまらない社会になってしまっています。クリエイティブも面白くない。カテゴリーが分かれることで、未来が歪んでしまう可能性もあると思うのです。ですから、自分の得意な分野、今でしたら「展示」という世界で、理系とか文系とか分け隔てなく、つまり多様性をもっと表現出来るようになりたいと思っています。
三枝:内田さんが展示で意識されている「問い」が、子どもたちに分野を横断することの面白さへの気づきを与えていると思います。
誰しもが、記憶の有無に関わらず、小さい時に親や場所が作ってくれた環境の中に、何かしら今に繋がっている気づきがあります。そこでの体験が深ければ深いほど、多ければ多いほど、その子は色々な選択肢を持つことが出来ると思います。私たちの子ども達のための場づくりは、そういう仮説のもとで進められています。
内田:それはとても重要な取り組みですね。私は以前、講演で中高生の子どもたちへ、人が何と言おうと自分が考えていること、好きだと思っていることが一番大切で絶対的なものだという意味で、「親や学校の先生の言うことを鵜呑みにしないで」というメッセージを真剣に送ったことがあります。自我が出てきた年代の子ども達に向けたメッセージでしたが、もっと小さい子にも知ってもらいたいと思います。むやみに反発する必要はないけれど、大人が言っていることが全て正しいとは限らないのです。世界の価値観はどんどん変わっていきます。ダメと言われても、それは親や先生の価値観です。自分の好きなことなら諦めてはいけないと思います。
一方、子育て中のお父さんお母さんは、汚れるからとか、他の子がしていないからとか、本に書いてあったからとかの安易な理由でダメといわないことを学ばなければいけないと思います。
成長期の子どもの脳細胞にとって、自由にやりたいことが出来る環境はとても重要です。
少子化の時代、親の関心が一人の子どもに非常に集中してしまいます。その結果、子どもが受けるプレッシャーはとても大きなものになってしまう。そういう意味でも、子どもにとって親以外の大人とのコミュニケーションはとても重要だと思います。
私は小学生から大学生までの四人の甥や姪と週に一度は必ず会うようにしているのですが、時には私の独身の友人と一緒にご飯を食べたりして。それが子どもにとっても、子どもがいない人にとっても、とてもいい時間ですし、お互いに刺激になっています。子育てをしていない人も、もっと子どもに関われる社会になったらいいなと思います。
三枝:それは素敵な関係性で、双方にとって意義のあることですね。同じ世代と話題や気が合うのは当たり前ですが、縦のジェネレーションと繋がれた時はいいコミュニケーションや刺激をもらえると、私も実体験から学んでいます。
内田:私が企画する子ども向けのワークショップでは徹底して親と子を離しますが、それは、子どもを親の目や評価を気にすることなく自分の考えに集中させるのと同時に、親以外の大人と対峙する機会を提供するためです。
三枝:それはすごく大事なポイントで、弊社のワークショップでも実践してきました。成果物も全く違う次元のものが出来上がってきたりするのですよね。
内田:多様性という意味では、いろいろな人格になれるロボットを活用することでも、さまざまな感性に触れる擬似体験が出来ると考えています。
昔の良き時代には、近所の商店街にいた面白いおじさんが一緒に遊んでくれたから〇〇が出来るようになったとかいうような事がありましたね。AIの進化によってそれがまた実現するかも知れないです。親や身近な大人たちとは違う別の頭脳と対話出来る環境が側にあるという状況は、子どもが持っている小さな興味を深めてあげるきっかけになるのだと思います。
子どもにとっては、なるべく自然環境に近いところで、多様な大人に触れて成長するのが理想なのですが、都市にあってはなかなかそうも行かない。そうなのであれば、都市ではテクノロジーをよりよく使うということが必要だと思います。
アンドロイドをテーマにした常設展示「アンドロイド―人間って、なんだ?」
「オルタ」(大阪大学・石黒浩研究室、東京大学・池上高志研究室)の、まるで生きているかのような複雑な動きにびっくり。
三枝:なるほど。ロボットが子育てに関わってくる近未来、楽しみですね。
先ほど展示で見せていただいた落合陽一さんの作品は、デジタルの中に自然を見出すという興味深いものでした。自然という観念も、固定しすぎなければ、さまざまな形で私たちの前に立ち現れてくれます。人間も自然の一部ですし、さまざまなものと繋がっていますね。
内田:そうなのです。自然は山奥に行かなくてもどこにでもあります。ベランダの小さなプランターや飛んできたカナブン、「今日は天気がいいわね。」というのだって自然ですね。
そうなるとやはり、先ほどの話に戻りますが、両親がいかに身の回りの世界と対話出来ているかが大事になってきます。「洗濯物はなぜ乾くの?」「生卵とゆで卵ではなぜ味が変わるの?」とか、身の回りにはグリーンだけでない自然現象が沢山ありますから。そういう会話が親子で日常的に出来るかどうかがとっても大切なのです。そういう会話の必要性を展示から感じ取っていただけたらと思っています。
ミュージアムは、お子さんへ伝えるべき大事な要素を周りの大人に知っていただくためのものでもあります。お父さんお母さん予備軍の10代から30代の方たちにもどんどん利用して欲しいですね。
三枝:デジタルネイティブといわれるZ世代の人たちが昭和的なアナログ文化に興味関心を持って、上手にミックスアップしているのを見ていると、これからの時代は、科学能と文化能どちらかに偏っていてはダメだなとつくづく思います。
内田さんがこの先クリエーションされる教育、文化の場がどのようなものなのか、楽しみにしています。そして私たちも、子どもたちの無限の可能性や知識の広がりが、根拠のないダメダメで押さえつけられることのないような場作りをしていきたいと思っていますので、何かご一緒出来ることがあれば是非、よろしくお願いいたします。今日は楽しい時間をありがとうございました。今度は時間をたっぷりとって展示を見に伺います。
内田:こちらこそ、ありがとうございました。私もサヱグサさんの資料室に伺うのを楽しみにしています!
◎ 日本科学未来館
日本科学未来館は、最新テクノロジーから地球環境、宇宙の探求、生命の不思議まで、先端の科学技術を楽しみながら体験できる国⽴の科学館。展示をはじめ、トークセッション、ワークショップなど多彩なメニューを通して、私たちがこれからどんな未来をつくっていくかをともに考え、語り合う場です。
東京都江東区青海2丁目3番6号
☎ 03-3570-9151
開館日の10:00~17:00
新交通ゆりかもめ「東京国際クルーズターミナル駅」より徒歩約5分/「テレコムセンター駅」より徒歩約4分https://www.miraikan.jst.go.jp
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