2021.10.01
<対談> 隈 研吾さん
*この対談は、2021年10月に公開されたものを再掲載しています
今回の対談は、建築家の隈研吾さんをお迎えしました。隈さんは、「2019年世界で訪れるべき最も素晴らしい場所100選」(米TIME誌)に選ばれたヴィクトリア&アルバート博物館ダンディー分館や、国立競技場の設計に参画されるなど、現代日本を代表する建築家のおひとりです。対談後の9月には、2021年の「世界で最も影響力がある100人」(米TIME誌)に選ばれ、10月1日にはリノベーション設計を担当された早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)がオープンしました。今回の対談では、世界で活躍する「建築家・隈研吾」を形成した幼少時代のエピソードをはじめ、建築の視点から考える「子どもの感性や創造力、その未来を形づくる体験」についてのお話をお伺いしました。対談は南青山にある隈さんの事務所にて行われました。
Photo : Makiko Obuchi
隈 研吾(くまけんご)
1954年生。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。
1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
三枝: お名前を聞かない日がないほどのご活躍をされている隈研吾さんにこうしてお会いでき、ほんとうに光栄です。竹を使った和の雰囲気が素敵な「根津美術館」が実家のそばにあることもあり、私にとって隈さんの建築は憧れであると同時に親しみも感じていました。この夏の感動の舞台となった「国立競技場」や、折り紙をモチーフにされたという「高輪ゲートウェイ駅」、大地から湧き出たようなイメージが石で表現された「角川武蔵野ミュージアム」など、自然の素材をふんだんに取り入れておられる隈さんの建築の「心地よさ」は、子どもたちも本能で理解してくれるような気がします。
弊社は今、「SAYEGUSA × EXPERIENCE」をテーマに、子どもたちが様々な感動や気づきに出会える環境を創造するブランドとして生まれ変わろうとしています。
今日は、建築を通じて世界への深い造詣をお持ちの隈さんに、子どもの感性や創造力、その未来を形づくる体験とはどのようなものなのか、伺えたらと思っております。
隈さん(以下敬称略): 子どもにとっては、自然にふれる機会をどう増やせるかというのが、僕は一番重要なのではないかと思っています。都市的な環境の中で育ちますと情報量はすごく限られるわけです。子どもも携帯を持つ時代になり、情報は溢れているようではありますが、そこで得られるのはデジタルの映像情報だけですから。生の自然に触れながら、自分の身体を使って自然とコミュニケーションするということを意識して体験させてあげないと、子どもの未来は暗いなぁと思うのです。
三枝:やはり、隈さんもそう感じておられますか。弊社はレイチェル・カールソンの『センス オブ ワンダー』に書かれた「神秘さや不思議さに目をみはる感性」こそが、未来を担う子どもたちに必要なものなのではないかと考えています。あの本が書かれて55年以上が経った今、彼女のいう自然環境に身を置くことはますます難しくなっています。
隈:自分自身の子供の頃を振り返ってみても、横浜市の大倉山から田園調布の幼稚園と小学校へ通っていたのですけれども、大倉山にはまだまだ里山が残っていて、学校から帰ると解放された気持ちになったことを覚えています。その里山は公園とは違う本当の里山でしたから、いろんな生き物との付き合い方もそこで学びましたし、自分をつくってくれたのはその里山での体験だと思っています。
ですから、今の子どもたちが小さい時から箱の中に閉じ込められて、競争社会におかれているのを見ると可哀想になります。自然の中に解き放ってあげるだけで、ストレスのかかり方は違うものになると思いますね。そういう機会を我々がどこまで用意してあげられるか、と考えています。
三枝:東京をはじめ、我々の住んでいるのは都市という人工物。そこで子どもが産まれて育っていく。そういう中で、なかなか昔ながらの里山のようなところに身を置く機会はありません。昔の生活に戻るということもなかなか出来ませんし。どうやったら、本来里山や自然から享受するような「センス オブ ワンダー」の気づきを、身近なところで感じてもらえるか考えています。
そういう意味では、建築は身を置く場所として、人工物ではあるのですが、素材とかいろんなものでお子さんたちが感じられる可能性があるのではと思ったりしました。建築において、身近で出来るお子さんたちの良き体験という発想は何かおありでしょうか?
隈:「箱の中で競争させられている」というストレスから子どもたちを解き放ってあげる作り方もおおいにあると思いますよ。
僕は今、横浜にあるインターナショナルスクールの設計をしているのですが、レイアウトひとつとっても、学校側の考え方が日本と全く違うのです。同じ椅子がずらっと並んでいるのではなくて、テレビや本棚、ソファなどがすごくラフに配置されている。あまり整理されていないリビングルームに居るみたいな感じなのです(笑)。でも、こういうところに居るだけでも気分がいい方に変わるなと思いました。生徒はそれぞれ好きなところに座って、リラックスして授業を受けているんですね。それをみただけでも、日本の教育環境や教育施設の建築は遅れているなと感じました。
今回も材料は木をなるべく多く使いますが、材料の問題だけではなくて、中の配置とか家具とかでも全然違う雰囲気が作れます。学校は「施設」でなくて「家」でなければいけないと思っています。
三枝:家にいる時のように子どもたちがくつろげる学校、素敵ですね。
教育制度も時代に合わせて変化していくのが理想だと思いますが、なかなか難しいですね。弊社の立場でできることは、学校を離れた場所で、本来的な学びのきっかけ作りや気づきへのお手伝いなのかなと思っています。
隈:大きな里山がなくても小さなビオトープでもいろんな体験ができますよね。子どもは関心のあることには、ばーっとのめり込んでいきますから、全体のスケールはそんなに大きな必要がない。小さな場所でも生物や自然の体験が出来るので、そういう場所を建築の中に、なるべく作り込みたいと思っています。
三枝:なるほど。パンデミックが起きて、世界の流れはさらに自然回帰になってきたと感じています。私たちはもう一度、自然と共存する生活を見つめ直さなければいけないと思うのですが、やはり建築のあり方も大きく変わっていくのでしょうか?
隈:このコロナ禍を経験してものすごく大きく変わると思っています。これまでの建築というのは、都市に集中することが進歩だという考え方でした。都市にどんどん集中させてそれでも足りなくて上に伸びていった。これからは分散の方向に行くことは間違いなくて、その「分散のデザイン」というのは皆経験がないわけですから、これからはある種の実験が許される時代がきたと思います。人間のライフスタイルも、これまでの都市集中型から郊外分散型へ変わる時期にきているのではないでしょうか。
三枝:郊外分散型のライフスタイルですか。私自身、都会の建物の中にいるよりも、外に出て風が流れて光を感じるところにいたい。そう感じることが増えてきています。隈さんが手掛けられた明治神宮のミュージアムがありますね。明治神宮の杜は、都内にいても本物の自然を感じることの出来る希少な場所で、私のお気に入りスポットのひとつなのですが、あれはどういうことを意識して設計されたのでしょうか?
隈:明治神宮の杜は人工林ですが、100年かけてあそこまでの原生林のような森になりました。ならば、建築もやはり人工物だけれども、森に溶け込むようなものにできるのではないか思いました。降りながら入る入口など、高さを抑える工夫を重ね、かなり見えないところでも建築の存在感を消すような工夫をしています。
三枝:見事に自然に馴染んでいますね。都会の中の自然のひとつの形ですよね。あのような場所を子どもたちの学びのためにお借りできないかと思うほど、素敵な場所だと思います。
隈:神宮の杜の学習と合わせたらいいことができそうですね。
三枝:さて、隈さんが建築の道に進まれたきっかけが、前回の東京オリンピックの時に見た代々木屋内競技場だったということをどこかの記事で拝見しました。我々のこれから提供する体験が、子どもの職業選択の可能性を広げることにも繋がると考えており、そのヒントとなるようなお話を伺えると嬉しいです。隈少年のアンテナに、その建物がひっかかったのはどうしてでしょうか?
隈:代々木の屋内競技場に出会うまでは、猫が大好きで獣医になりたかったのですが(笑)、建築に関しては、もともと関心があったのです。
私が育った家は、戦前に建てられた木造家屋で、もとは、母方の祖父が週末を過ごすために建てた別荘でした。東京で開業医をしていた祖父は、週末になると大倉山へやってきて土いじりをしていたそうです。祖父が借りていた畑の隅に建てた平屋建ての小屋が、のちに私の生家になりました。当時、周りには新しい家がたくさん建ちはじめていて、僕は古い家が嫌でしょうがありませんでした。でもある時から、こっちの方が渋くて良いんじゃないか、と思い始めるのですけれども(笑)。
父は改築が趣味の人でした。私たちが大きくなるにつれて年中、改装したり増築したりしていました。そういう時は、家族みんなでプランを考えて、間取りはこうしたい、色はこうしたい、窓枠は木にしたいとか、いろいろなアイディアを出し合いました。大工さんを手伝いながらも、この部分だけは自分たちで仕上げようとか、ある意味でワークショップのようにして自分の家で遊んでいたんです。それも今に繋がる大きな経験のひとつですね。
三枝:そんな中で、代々木の屋内競技場をみた隈少年は、「おお!」となったわけですね(笑)。
隈:はい。「すごい建物があったものだ」と。1960年代はモダニズム建築の時代でしたので、コンクリートのモダンな建物が次々出来ていました。父はサラリーマンでしたが、本当はデザイナーになりたかった人で、建物を見るのも趣味でしたので、前川國男さんが設計した上野の東京文化会館や、芦原義信さんが設計した駒沢オリンピック公園など、新しい建築が建つたびに見に連れて行ってくれました。子供心に、どれも「格好いいな」と思ってみていましたが、その中でも特に印象的だったのが、丹下健三さんが設計した代々木の屋内競技場でした。
三枝:理想的な家庭教育ですね。子どもに気づきを与える体験の場をお父様がおつくりになったということですから。小さい頃はどんなお子さんだったのですか?
隈:幼少期はおとなしかったようですよ。朝から晩まで積み木をやっていたので、「すごく楽な子どもだった」と母が言っていました。子どもの頃ひとりで延々と積み木で遊んでいた体験も、建築を志すきっかけかもしれません。ちなみに、フランク・ロイド・ライトも積み木で育ったといいます。お母さんが教育に熱心で、丸・三角・四角の積み木を組み合わせて遊ぶ「フレーベル式積み木」を与えていたというのは有名な話ですね。
三枝:やっぱり、積み木は建築的興味を引き出す最初のおもちゃなのですね。私ももっと積み木をやっておけば、違う人生があったかもしれないですね(笑)。
そうそう。私も、弊社とご縁の深いmore treesさんのご紹介で、隈さんの「つみき」を持っています。デザインも素敵ですし、大人でも楽しめますね。
隈:そうですか。あれは、宮崎の杉材を使っているんですよ。積み木は、限られた空間の中でも夢中になって遊べます。積み木を手で触っていると、脳の中でいろんな変化が起きます。空間能力や発想力を発達させるとか、癒しとかいろいろな可能性があると思っています。
隈さんと森林保全団体more treesさんがコラボした「つみき」
三枝:たいていの子どもにとって積み木は、初めての三次元のおもちゃであり、「木」という自然物に、匂いや音や手触りといった五感で触れる最初の機会かもしれませんね。子どもの頃から、木のおもちゃで遊んでいると、その先の人生でも自然との距離がより近くなるでしょうね。
私たちも、ひとりの子どもの成長に大切な役割を担うようなモノを作ってみたいと思っています。木の良さを知ってもらって自然との距離を近くする可能性を持ち、柔軟な発想力を育ててくれる積み木のような。チャンスがあれば、隈さんとご一緒にそういうモノを開発出来たら最高です。
隈:それは意義のあることですね。またチャレンジしてみたいです。
三枝:おとなしいお子さんだったとのことですが、反抗期はなかったのですか?
隈:父にはずっと反抗していました(笑)。でもまわりのおじさん達からは、素直にいろいろな事を教わっていましたね。田舎の親戚のところへ行くと、農業をしているおじさんとか色々なことを教えてくれるわけです。近所の自動車のエンジニアをしている発明狂みたいなお兄さんからは機械や車のことを色々教わりました。それは都会のサラリーマンだった父からでは得られない知識ばかりでしたから、貴重な体験でしたよね。僕が子どもの時代には、学校と親だけでなく、周りには色々なことを教えてくれる大人たちがたくさんいました。吸収の道が開かれていましたね。
三枝:私も父とは事あるごとに意見が対立していました。でも、銀座で老舗テーラーを営まれている父の同級生の方にはよく相談もしましたし、父と同じ事を言われてもなぜか素直に聞けましたね。これは大人になってからの話ですが、父と息子ってそういうところがあるかもしれませんね(笑)。
いまの時代の子どもたちの周りには、そういう子どもの興味を刺激してくれるような他人の大人が少ないですよね。隈さんが経験したような、田舎や隣のおじさんたちの存在にとって替わるような、体験や場づくりを都会のお子さんたちに提供してあげたいですね。そうすると、人間力も上がり、もっと溌剌と、いろんなことに興味を持ってくれるようになるのではないでしょうか。
例えばそういう環境のなかで、「建築」のことに興味を持ったことがスタートになれば、数学を勉強するのだって、取り組む姿勢も得られるものも変わりますよね。目標がない勉強は、挫折に向かいかねない。
隈:そうでしょうね。今は、なんのために勉強しているかわからない子が多いかもしれません。偏差値を基準に人生を考える人が多くて、競争のための勉強になってしまっていますからね。僕は、勉強ができるよりも、人に対する理解があるというような文化的な能力こそが子どもにとって大切だと思いますし、自分の価値を自分で見いだせる子どもを育てていくべきだと思います。
三枝:今は、子どもが積極的に家族以外の大人との関係性を築くのが難しい時代になってしまいました。人との関係とか環境とか、自然を含めて、一昔前にはふつうにあった状況をもう一度子どもたちに差し出せる、そういう存在のブランドになりたいと思っています。その時、大変重要になるのが場の力です。最初は、今あるものをお借りしてやっていこうと思っているのですが、近い将来には、都会の中や近郊で我々が理想とするオリジナルの場作りをしていきたいと思っています。隈さんからみて、どのような場作りが理想だと思われますか?
隈:「驚きを子供達に与え続けられる場所」でしょうね。僕自身、子どもの頃に「こんなところに洞窟があった!」とか、「こんな風に天井が高い場所があったんだ!」と驚いた経験って鮮明に覚えているのですよね。建物で言えば、環境に対する配慮、自然素材を使うことというのも大切ですが、子どもがわあーっとのめり込んでくれるにはサプライズが必要だと思います。太陽の光や風、木や植物を使って人工物である建物でも柔らかくなることを教えてあげたいし、触ったときの質感の違いも重要ですね。いわゆる都市空間は、汚れにくいとか長持ちするとかの基準で材料が選ばれているので、触ると布のように柔らかいなどの「思いがけない質感」を取り入れてあげるというのも、子どもたちへのサプライズになり、記憶に残ってくれるでしょう。
三枝:そういう工夫が凝縮され、なおかつ全体が印象的に素敵な場所というのが、都会にもあると素晴らしいですね。
さて、銀座で隈さんの設計された建物というと、ティファニー銀座や歌舞伎座(三菱地所設計との意匠共同)が有名です。そして、デザイン監修をされた12階建の木造のビルが建築中ですね?日本で一番高い木造建築になるとのことで、建築界でも話題だと思います。これからは、街全体の豊かさが問われる時代だと思いますので、銀座にそういうサステナブルなビルが建つというのは、とても良い影響がありそうで楽しみにしています。というのも、銀座の街は今、パンデミックで大きな変化が求められています。その目指すべき方向性のひとつがサステナブルではないかと、個人的には思っているのですが・・・。
隈:銀座の街はサステナブルをもっと個性化していっても良いのではないでしょうか?銀座はよく行く街ですが、ウォーカブルで迷宮的なところが魅力ですよね。隙間や抜け道がたくさんあって、東京のどまん中にあるのに、裏通りにいくほどヒエラルキーが深くなる不思議な街です。店から店へビルの隙間を抜けて楽しく歩いて移動出来る街ってそんなにないと思いますよ。歩けるということはサステナブルです。そして、「新しい×伝統」の緊張感は銀座の魅力です。新規参入者や新陳代謝の姿がもっとみえると、サステナブルな伝統の良さがもっと引き立つと思います。ミツバチの取り組みなども面白いですし。
三枝:なるほど。銀座の街の中でもっと積極的にサステナブルを推進する自信になりました!
私には専門的なことはわかりませんが、隈さんの建築はこれからますますサステナブルな方向に、それに伴ってマテリアルももっと変わっていくのでしょうか?
隈:そうですね。マテリアルも木だけではなくて、布とか、色々な実験をしてみたいなと思いますね。日本の伝統技法も積極的に取り入れていこうとしています。高輪ゲートウェイ駅では、屋根のデザインで折り紙をモチーフに、木のフレームと白い膜で「障子」を想起させたり、壁面にも伝統的技法を用いたりしました。
三枝:隈さんがアシックスとコラボしたシューズも、日本の伝統的な竹を編む技法をモチーフにされていましたよね。意外な組み合わせに驚きましたが、とても素敵でした。
隈さんの建築は、とてもやわらかくてあたたかさを感じます。当然、建築はそれを使う人に対して作られるものですが、周りにある環境として関わってくる子どもたちに、何か感じてもらいたいとしたらどんなことでしょうか?
隈:子どもの時にどういう素材に囲まれ、どういう空間を体験したかというのは、後々まで記憶に残ってその人の感性に影響することが、研究によって判明しています。ビニールクロスとメラミンに囲まれた勉強部屋の空間にばかりいたら、大人になった時、想像力が限定されてしまうのではないかと思います。ですから、私の作る建築では、子どもの未来を明るくするような空間を体験させてあげたいですね。
三枝:最後に、都会の中でも自然を感じられるおすすめの散歩道はありますか?
隈:多摩川沿いはおすすめです。田園調布の小学校に通っていたころ、多摩川の川べりを二子玉川のあたりまでよく歩いていた記憶があります。当時の二子玉川は、川や畑に囲まれたのどかな街でした。今も川べりの散歩は楽しいと思いますよ。
三枝:あのあたりは緑と建物、街が自然と一体化していて、心地良いですよね。そう言えば、建物全体が植物で覆われているイメージの玉川高島屋S・C本館やマロニエコートも隈さんの設計でしたね。久しぶりにまた散歩してみたくなりました。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
◎隈研吾さんの著書紹介
『建築家になりたい君へ』河出書房新社10歳で建築家を志し、国内外で多数のプロジェクトをてがける今もっとも注目の建築家が建築知識満載で綴る10代へのメッセージ。建築家とは、そしてこれからの建築とは――。(河出書房新社HPより)
◎隈研吾さんデザイン「つみき」のご紹介
幼いころの積み木遊びが、建築家を志すきっかけになったと言う隈研吾さんと、「都市と森をつなぐ」をテーマに“森づくり”に取り組む森林保全団体more treesさんのコラボレーションにより誕生した「つみき」です。建築的な要素を取り入れたシンプルな三角形の「つみき」は、積み方次第でさまざまなオブジェを作り出すことができます。
つみき《22ピース/13ピース/7ピース》
素材:FSC認証スギ(宮崎県諸塚村)
つみきオフィシャルサイト http://more-trees-design.jp/tsumiki/jp/
more trees オフィシャルサイト https://www.more-trees.org