<対談> 野口 健さん

2021.06.01

<対談> 野口 健さん

アルピニスト・野口健さんが語る
子どもたちに気づいて欲しい ”世界のA面とB面” とは

*この対談は、2021年6月に公開されたものを再掲載しています

アルピニストの野口健さんは、16歳にして「世界7大陸最高峰登頂」という目標を、1999年、25歳の時に当時最年少記録で達成。アルピニストとして登山に情熱を注ぎ続ける一方で、遭難で亡くなったシェルパ(ネパールの少数民族。ヒマラヤの登山支援を行う人を指す)の遺族のためのシェルパ基金や、ネパールの小学校建設プロジェクト、ヒマラヤにランドセルを届けるプロジェクト、エベレストや富士山の清掃活動などさまざまな活動を精力的に行っていらっしゃいます。その活動の原点は何か?、また、ヒマラヤにチャレンジしたいというお嬢様をもつ父親としての思いなどもお聞きしました。

Photo : Yoshihiro Miyagawa

野口健(Ken Noguchi)

アルピニスト。1973年アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学国際関係学部卒業。
1999年、エベレストの登頂に成功し7大陸最高峰の世界最年少登頂記録(当時)を25歳で樹立。
富士山清掃活動をはじめ、シェルパ基金設立、被災地支援など、環境活動、慈善活動を多く行う。
著書に『確かに生きる』(集英社)、『あきらめないこと、それが冒険だ』(学研プラス)など。

三枝(以下S): 野口さんは、アルピニストとしてご活躍の一方で、さまざまな環境保護や社会支援の活動をされています。どういうプロセスや気づきがあって、そこに至ったのでしょうか?

 

野口さん(以下N):

いろいろな方に、登山家なのにどうしてそんなにいろいろな活動をするのかとよく聞かれますね。自分でも活動の幅が広がりすぎて、何屋さんなのかわからなくなってしまっています(笑)。

僕は山屋ですから、世界中の山々に行きます。山は、僕にとっての現場です。インターネットを少し探れば、データは沢山出てきます。そうすると少し詳しくなった気になりますが、現場っていうのはもっと生生しいものです。現場の匂いやオーラというのは独特です。現場に出向いて、自分の目でみると、「あぁ、こんなことが起きているんだ」と、事実を本当の意味で知ることが出来ます。見て、知ることは、「気持ちの中で背負う」ことですから、「ひとつでいいから何か出来ないかな」と思います。その「ひとつ」から活動が始まり広がっていったんです。

例えば、山の清掃活動は、エベレストや富士山が大好きだから掃除をするとか、環境問題を意識しての活動というよりも、「くやしいなあ!」と思ったのが、始まりなんです。

97年にはじめてエベレストに行きました。美しい所だと思っていたのに、ゴミだらけだった。しかも他の国の登山家から「これは、お前たち日本人が捨てて行ったゴミだ。」「君たちは、エベレストも富士山のように汚すのか」と言われて、悔しくて。山の世界では神様のような存在の、登山家メスナーが80年代に富士山に登った時、「こんなに汚い山は見たことがない。富士山は世界で一番汚い山。」と言って話題になっていましたから。日本ではさほど注目されていませんでしたが、「富士山は世界で一番汚い山。ごみが多いから世界遺産にならない」と、ヨーロッパの登山家たちは言っていたんです。

エベレストのゴミは全てが日本隊のものではないにせよ、実際かなり多かった。それが事実。過去にやってしまったことはもう変えられない。では、今の日本隊が過去の日本隊のゴミを拾おうじゃないかと。彼らの言葉が悔しくて始めた清掃活動でした。

エベレストを清掃しているうち、これは日本人登山家のマナーの問題ではなくて、日本の社会の縮図かもしれないと思うようになったんです。それが富士山の清掃活動につながりました。僕にとって富士山はトレーニング用の山。一面が氷で覆われた冬にしか登ったことがなく、その状況に気づけなかった。夏山に登ってみたらその通りでした。びっくりするほど人が多くて、トイレから流れ出たペーパーや排泄物も酷かった。山を降りてすぐ富士山の清掃活動をしているNPOに連絡したんです。そうして案内してもらったら、山だけではなく、樹海もひどかった。不法に捨てられた産業・医療廃棄物の山でした。「気」が完全に枯れている。初めての視察で、1時間ほどの滞在にも関わらず、心のおくそこにヘドロが入り込んだような精神ダメージを受けました。地球を汚すということは、つまり自分の心を蝕むことなんだと身を持って体験しました。動植物が環境を破壊するわけじゃない。破壊するのは人間です。環境問題に向き合うということは、人間社会を相手にすることなんです。

 

S: 野口さんが現場で背負ったものひとつひとつに向き合った結果が、それぞれの活動なのですね。ゴミの問題と同様に、今警鐘が鳴らされている温暖化などの自然環境の激しい変化も、登山家としての活動の中で、身をもって感じられてきたのはないでしょうか。

 

N: そうですね。近年では国内でも水害が増えて温暖化を意識する人が増えてきましたが、15年前の日本の国内ではまだ環境問題に対しての危機感というのはそれほどなかったですよね。

僕はヒマラヤには25,6年通っています。僕たちが登るのは秋・冬・春の乾期。ヒマラヤは寒い方が雪が少ないんですよ。6月を過ぎるとインド洋の海水が水蒸気になって、どかんと雪が降るんです。僕らは雪崩が怖いのでその時期は登りません。でも、近年は乾期でも雪がけっこう降るんです。雪質も、サラサラだったものが、ダウンがびちょびちょになる位に水気を帯びるようになってきました。この10年で雪崩にも何度か遭遇しました。

ヒマラヤの氷河がとけて流れた先に出来たのが氷河湖です。最近は氷河の急激な融解によって、湖が急激に拡大して決壊して、ヒマラヤのいたるところで洪水が起きています。それで大勢が犠牲になっているんです。毎年ヒマラヤに行っていますと、そういう変化が明確にわかります。

それから、15、6年前、5300mのエベレストのベースキャンプに僕らがいる時にハエが飛んできたことがあって、世界的なニュースになったほどの衝撃的な出来事でしたが、今では普通に飛んでいます。そのくらい変化しています。僕らはそういう風に温暖化の影響を非常に身近に感じているのですが、少し前まではそれを訴えても日本ではピンと来てもらえなかった。

日本の山小屋にアルバイトに来ていたあるシェルパが、「日本の人に故郷ヒマラヤの危機的な状況を訴えても、遠くの出来事のように誰もピンときてくれない」と嘆いていました。その彼が「地球でもっとも高いところがエベレスト。人間に例えればそれは頭。頭に熱を持つといずれ体全体が怠くなるよね。」という例えをしたんです。「エベレストが熱をもって氷が溶けるってことは、いずれ当然、地球全体にも悪影響を及ぼす」と。これだ!と思いました。

 

S: 非常にわかりやすい例えですね。

 

N: それが16.7年前なんです。その言葉を僕は当時の洞爺湖サミットなどで発表したのですが、やはり当時は伝わらなかった。それが最近、このシェルパとのエピソードをするとリアクションが変わってきました。「確かに最近、台風が増えたよね」とか。これまで大きな自然災害がなかった地域でも大きな被害が出ましたから、温暖化の影響が身近な問題になってきたんです。こういうことが現場に行くと感覚でわかるのです。

N: 僕の活動は父の影響も大きいと思います。小中高の頃、外交官をしていた父にいろいろな現場に連れていかれました。中東の紛争地帯やスラム街、イエメンの救急病院などかなりシビアな場所にも。父はそれを通して、世の中にはすぐそこに見えている世界としてのA面と、自分で行かないと見えない世界としてのB面があるのだということを教えてくれました。「B面には社会の本質がある。きらきらしたA面を見た時に、疑問を持つこと。B面を見られる大人になりなさい」といつも言われていました。例えば、ベルリンの壁のこちらとあちらの、びっくりするほどの違い。それを見て何を感じるのか。父は僕に旅の間中、A面とB面について考えることを常に求めてきました。

僕らが美しいと思って鑑賞するのは富士山のA面、かたやB面の富士山は不法投棄の山です。エベレストで外国人が登頂に成功するのはA面ですし、外国人が挑戦するたびにそのかげで多くのシェルパが遭難して亡くなっている、これがB面。世の中はA面B面で出来ています。僕はB面を見てアクションを起こしているんです。

 

S: 今は、子どもになるべくそういう面を見せないようにという考えの人たちも多い気がしますが、野口さんは小さい頃から、私が一生かかっても体験しないような状況も目にして育ってきた。それが今の活動に繋がっていらっしゃるのだと。納得です。

山登りをしない私たちにとって、シェルパの現実などは野口さんの活動を通して初めて知ったB面の世界だけれども、人の命の問題としては皆が知っていなければならない問題のはずですね。世の中には見落とされてしまっているB面が山のようにあるのでしょうね。

 

N: そうですね。意識しないと気づけないものってたくさんありますね。僕はいろんな活動をしているように見えるけれど、山屋として気づいたことをやっているだけなんですよね。いわば身の回りのことです。だから、そこから離れるとまだまだ知らないB面の世界がありますよね。

 

S: 大人になるまえの子どもたちに知っておいてもらいたいB面というのがありますね。
ところで、富士山の清掃活動の目処はたって来たのでしょうか?

 

N:富士山の清掃活動は21年目になりますが、ようやく5合目から上はほぼゴミのない状態にまでなりました。麓の樹海も表面はほとんどきれいになったので、今はゴミ掘りです。埋められているゴミも沢山あるんですよ。あと5年くらいでしょうか。ようやくゴールが見えてきましたよ。

 

S:あと5年ですか!一掃されたら素晴らしいことですね。やはり富士山がゴミに埋もれているという状況、誇りと思っていた富士山を自分たちの手で汚していたというのは、日本人としてすごく恥ずかしいこと。これが綺麗になることで、失いかけた誇りも取り戻せますし、日本全体に元気を与える明るいニュースになりますね。野口さんの活動は、我々に気づきを与えてくれるという意味でもいい影響を与えていらっしゃると思います。

 

N: じわりじわりですけれどもね。富士山での清掃活動をがんばるのは、日本人ならだれでも知っている有名な山だからです。有名だから人もメディアも集まりやすい。これがきっかけで、日本中の山に清掃活動が広がって欲しいと思っています。実は今、僕らが拾っているペース以上にゴミが減っていっているんです。登山者が変化してきましたね。夏に富士山で登山客とすれ違うと「野口さん!ゴミ拾ってきましたよ!」ってアピールされることが多くなりました。だから僕も「ありがとうございます!」って。混んでる山だとお礼を言うのも大変(笑)。富士山だけでなく八ヶ岳など他の山でも同じように声をかけられます。みんな、古い空き缶とかビニールゴミの入った袋を下げている。だから今、日本の山々からゴミがものすごい勢いで無くなってきてますね。僕らだけでは限界がありますから嬉しいですね。

例えば、富士山で年間30数万人といわれる登山者が1つずつ拾えば30数万個もゴミが減る。捨てればその逆です。全員が拾わなくても、至る所で拾っている人がいれば捨てづらいですからね。富士山はもうゴミを捨てづらい雰囲気の山になったと思います。

S:それは素晴らしい!今までの活動の賜物ですね。それが、世界中のゴミ問題や環境問題の改善の一つの答えなのかもしれません。一人一人の小さなアクションの蓄積がいかに力があって、いかに大切か。コツコツと野口さんが20年以上も続けてこられたことにも感動します。

 

N: 登山家ってしつこくて、くどいんです。やると言ったらやる。活動を始めたら長いから忍耐強いですからね。だから出来ているんですけどね。

 

S: これまで私の中での登山家へのイメージは、ストイックに登山を極めるというものでした。野口さんは8000メートル級の山を何度も登って、登山の素晴らしさを世に広めていらっしゃるだけでなく、シェルパ、山のゴミ、学校など、山のまわりのいろいろなことに気づかれて、その解決に向けていろいろな活動にも全力でとりくまれている。それがとってもすごいことだと思います。

 

N: 最近、「命の使い方」を考えているんですよね。今秋も8000m峰マナスルへの登頂を予定しています。マナスルは、特に難しい山ではないのですが、雪崩が多い山なので命を落とす危険もあります。登山家ですから山登りに命をかけるのは当然です。20代、30代の時には「冒険という個人の夢に命をかけて、それで死ぬかもしれない」ということに全く疑いはなかった。ただ最近は、命の使い方としてそれでいいのかという疑問が出てきました。「何かのために命をかけて死ぬ」というのであれば、それは意味がある。冒険という究極の自己満足のために命をかけていいのかと、葛藤があるわけです。8000m級の山に登るっていうのは、命をリアルに意識しますからね。そうすると、今やっているネパールの学校建設などもせっかちになってしまいます。

 

S: やれる時に、やらなきゃということですか?

 

N: そうです。秋のマナスルで雪崩がどっと来たら終わりですからね。だからマナスルの前に完成させなきゃって。

 

S: お嬢さまとの登山や支援活動を記事などで拝見しましたが、野口さんご自身の子育てにも、その死生観が影響していますか?

N: そうですね。娘へのバトンタッチは早かったですね。娘は今高校生ですが、エベレストを目指したいと言っています。一緒にヒマラヤ、キリマンジャロに登るようになって濃い時間を過ごすようになって、彼女とは親子というより「仲間」になってきました。この三年ほど一緒に山に登る機会が多くなり、ヒマラヤの子どもたちにランドセルを配る活動などにも同行させていますが、将来はこれを引き継ぎたいと言ってくれています。

A面、B面についても引き継げたと思っています。幼いうちからあちこちに連れて行きました。アフリカでは野生動物が暮らす美しい風景だけでなく、密猟の現場やスラム街なども見せていましたし、東日本大震災から半年後の被災地へも連れて行って現場の生々しさを見せていました。一部ではトラウマを心配する批判もありましたが、この体験で彼女は確実に成長しましたね。

陸前高田を訪ねた時、瓦礫だらけのあたり一面グレーの世界の中に、水色の看板がひとつだけ残っていました。色は人間がいた証です。僕はそこに救いを感じて、写真を撮りました。そうしたら、彼女も同じ光景を絵に描いていた。「パパ、色がひとつだけあったね?これからは色を足していけばいいんだね。」と。彼女の言う色は、つまり生活とか希望だったと思うんです。同じ光景に反応できた、感性を共有できたことが嬉しかったです。小学校低学年の時にそういう体験をした彼女は、その後の僕の災害ボランティアに一緒に参加したがるようになりました。熊本の震災の時には自らボランティアに参加していました。

S: 素晴らしいですね。もうしっかり思いを引き継いでいらっしゃる。

トラウマを心配して批判があったとおっしゃいましたが、今は、子どもにそこまで見せていいかというバイヤスがかかりすぎてますよね。例えば、被災地よりもずっと身近な話題になってしまいますが、『うちは精肉店』という食肉の屠殺について子ども向けに書かれた本があります。スーパーや食卓で小さく加工された肉しか目にする機会のない子どもたちにとって、家畜のいのちをいただく屠殺の現場は意識して知ろうとしなければ見えてこない世界です。確かに少しショッキングかもしれませんが、私は子どもに読ませるべき、素晴らしい本だと思うのです。でも、弊社のブックコーナーでは議論の末に取扱いが却下されました。大人になってから屠殺の現場を見ると肉が食べられなくなる人もいます。その当たり前の事実、そして命をいただくことへの感謝の気持ちを、小さいうちからしっかり教えてあげるべきだと思ったのですけれどね。

 

N: 大人になってから見るから苦手になるんですよ。私が中・高を過ごしたイギリスの学校では食卓にチキンがよく出てきましたが、食べられなくて残す子がいたりすると、校長先生が「この鶏は君たちのために死んでくれたんだ。命を奪ったんだから、残さずに食べるのが君たちの義務だ!」と叱ってくれました。

「生きるということは、他のものの命をいただくこと」なんですよね。だから私も子どもたちの環境学校では、意識してそういう体験をさせています。小笠原では亀、白神山地では熊、屋久島では鹿ですね。それぞれの土地の文化や、生態系を守るための駆除を含めた「命」を食べる意味、命をいただくことへの感謝を伝えています。これも賛否両論が出ますけれども(笑)。

S: 私は賛成ですね!小さいうちに「生きる」とはどういうことなのかを伝えることって、非常に重要だと感じています。野口さんの活動にも、人間としての本来の「生きる力」を気づかせてあげたいという思いがおありなのですね。

 

N: その通りです。それから、最近の都会の子は木登りも含めて自然体験がない子がほとんどなんですね。環境問題を学校で学んで大人顔負けのデータは頭に入っていたとしても、自然体験がベースにないままで、本当の意味で環境問題に関心が持てるのか疑問です。僕も山に登っていたからゴミ問題に気づけたわけですから。自然体験があると環境問題が自分事につながります。場をつくらなければいけないですね。本当は公園だって自然体験の場になるのに、最近の子は塾通いが忙しくて公園で遊ぶ時間もない。ボーイスカウトも最近は聞かなくなりましたね。12年間ほど、小諸市の小学校5,6年生と森の再生活動をやりました。森が見事に変わりました。参加した子ども達が「現場」に戻ってそれを確認することも出来ています。

 

S: 今は企業も報告の義務があるので、CO2排出量何t削減とかってスペックが優先される傾向にありますが、野口さんがおっしゃるようにベースが出来ていないのではないかという気がしますね。原点が整っていないと大人になってから気づくって難しい。幼児期に自然に放してあげて、そこで子どもたちが気づいたりすることの先に、本当の意味での環境問題の解決が見えて来る。自分が自然の中の一員だという意識がないと、自然に対して上から目線になったり、付き合い方がわからないのではないでしょうか。

弊社ではこれまでも、野口さんと同じように、都会の子どもたちに自然体験の場や機会を提供してきましたが、それは、今の日本の子どもたちにとって非常に意味があると信念を持っています。これからのサヱグサの存在意義もそこにありそうだと思っています。

 

N: 僕らが教えることも必要ですが、本当は、日常的に山や森に連れて行ったりして親が子に教えられると、なお良いですよね。だから、僕は親子環境学校という形で、親にまず自然体験の大切さを伝えたい。

娘といろいろな自然体験をしてきたのは、僕の中ではある意味、実験だったんです。小学生を山に連れて行ってどこまで出来るか。娘の中でどういう変化が起きるか。様子を見ながらやっていましたらスイッチが入ってしまって、「お父さんとエベレストに登りたい!」という風になっちゃった(笑)。「いやーまた行くのかー。もう年だから疲れちゃうからヤダなー。」って言ったら、「三浦雄一郎さんがいるでしょ!」って。あの方は特別なんですけどね(笑)。

 

S: 年齢のせいには出来ないですね(笑)。面白いなぁ。
お嬢さまが自分が歩んできた道を継いでくれようとしていることはもちろん嬉しいと思いますが、父親として、これからどうなって欲しいというのはありますか?

N: まだ高校2年生ですから、いろんな現場を見てほしいですね。ニュージーランドに留学中ですので、いろんな現場へ行って好奇心を育てて欲しい。例えば、海外ではボランティア活動が盛んですしね。ボランティア体験から学べることは沢山あります。

よく経済格差が学力格差を生むと言いますね。確かにそういうことはあると思いますが、体験格差というのもあるのではないでしょうか。体験というのは興味や好奇心を持つきっかけになります。子どもが学力を伸ばすには、もっと知りたい、もっと調べたいと思うことが大切なんです。だから娘、子ども達には体験を沢山して、いろいろな事に興味を持って欲しい。

 

S: 勉強勉強と押し付けるのではなく、いかに子どもが能動的に興味を持つことに出会えるかという視点での場づくりが大切なのでしょうね。我々の役割としては、子どもの体験格差というものを少しでもなくす手助けをしなければいけませんね。

N: 僕は大学時代、一年ごとに休学して山に登りました。休学は、日本ではネガティブなものでしたが、海外では貴重な体験機会としてポジティブに受け入れられていました。シェルパの村にある小さな学校では、休学した学生達がボランティアで子供たちを教えていたりするんです。彼らは休学中に世界を放浪したりして、さまざまな体験をしていますから、日本の学生とは比較にならないくらい、世界観とか考え方に深みがありました。だから僕、母校(亜細亜大学)の学長に休学を推奨しましょうって提案したんです。学長はいいね!と賛同してくれたけれど、当時はもちろんダメでした。でも今は、学生が休みやすいように、休学中の学費は免除となったそうですよ。

でも、最近、世界の僻地で日本の若いバックパッカーに出逢わなくなりました。エベレストの4500m地点にあるベースキャンプでも、若いカップルや小学生くらいの子ども連れの街道トレッカーをよく見かけますが、その中に日本の若者はいません。西洋人だけでなく韓国や中国の若者は多いんですよ。地元のシェルパに「日本には若い人がいなくなったのか?」って聞かれました(笑)。「なんでここには、日本の私みたいな若い人がいないんだろう」って娘も言っていました。どこまで因果関係があるかわかりませんが、日本の勢いがないからかなって思いますね。勢いのある国は、若い人たちに好奇心がある。バブルの頃は日本にも冒険家が沢山いましたからね。

 

S: そうですね。正直に言って、勢いがないですものね。しばらくダメそうだなって雰囲気が蔓延してます。もっと面白い人材が生まれる国にしていかないと。そこにサヱグサが何か役立てないかと思っているところなんです。だから「興味」って、本当に重要なキーワードです。

 

N: 「興味」と同じくらい大切なのが「生きる力」。自然体験ってプチピンチです。人間はプチピンチを体験する中で、いざと言う時に判断が出来る生命力を養っていくのです。例えばですけど、事故が起きたからといって、即、木登り禁止って言ってはいけないんですよね。ダメではなくて、事故が起きないためには、木を登るときは何に気をつけ、どうすればいいかを教えるべきだと思います。危ないことは何でも禁止ではなくて、子どもが自分で考え、対処ができるようにしてあげるべきです。

 

S: 小さい時からそれを学んでいれば、自分で判断が出来る人間になるんですよね。体験させてあげないから、挑戦しないどころか、なんでも指示待ち、ルールを求めるだけの人間になってしまう。ある本で読んだのですが、水を飲むのも許可が必要というルールの小学校があると。そんなのは日本以外の国には見当たらないそうです。水は自分の体調管理の為に飲むものですよね。そういう管理下に置いてしまう環境は、子ども達から自分で考える力を奪ってしまいますよね。

 

N: へぇ。びっくりですね…。子どもたちには、「生きるための感性」を身につけてもらいたいですね。

一方で、今の子どもたち、高校生くらいまでの子どもたちの面白い傾向もありましてね。
災害時の学生ボランティアが非常に多いんです。東日本大地震の時にも、高校生のボランティアが大活躍したと聞きます。彼らは、きっかけがあれば動けるんです。

 

S: 今の若い子達は非常に現実的だと言われています。だから、目の前のものは、ほっておけないということなのかもしれませんね。今、献血は減っているんだそうです。なぜかというと、その血の行き先が見えないから。でも災害ボランティアは目の前の人のためになって、喜んでもらっているのが直にわかる。現実問題と向き合える感覚が、私たちの世代よりもあるのかもしれませんね。そこは伸ばしてあげたい、頼もしい一面ですね。

N: 娘もそうですね。ヒマラヤのランドセル寄付活動に娘を連れて行った時の話なのですが、最初、彼女は6年も使い古したものが喜ばれるの?って疑問に思っていたようなのです。でも、一緒に届けに行って、現地の子どもが全身で喜ぶ姿をダイレクトに見ることで意識がかわり、その活動を引き継ぎたいと言うようになりました。やっぱり、現場で、自分の目で見て感じることが大切です。

 

S: 我々はこれからも、子どもたちの生きる力や感性を育むお手伝いをして行きたいと思っています。野口さんとはご一緒に出来ることが色々ありそうで、楽しみになりました。今日はありがとうございました。

< 野口さんの著書ご紹介 >

『登り続ける、ということ。ー山を登る 学校を建てる 災害と戦う』野口健(著)、学研プラス

野口健さんが小学生に向けて贈る最新刊。
世界7大陸の最高峰を当時最年少記録で登頂した野口さんは、過酷な登山を続けながら、ネパールでの学校設立や植林、国内外での大地震の被災地支援などに取り組んでいます。困難に挑み続ける野口さんからの、信念のこもった熱いメッセージが満載です。