2022.08.01
<対談> 辰巳 満次郎さん
*この対談は、2021年3月に公開されたものを再掲載しています
今回は、シテ方宝生流能楽師・辰巳満次郎さんをお迎えしました。
能楽は千年以上の歴史を誇る日本の伝統芸能です。装束やそのデザイン、独特な摺り足、掛け声や演奏等、見所の多い、洗練された総合芸術ですが、触れる機会が少ないとかハードルが高いと思われる方も少なくないかもしれません。
辰巳さんは、能をはじめとする伝統芸能や芸術には鎮魂や祈りなどの思いが込められているといいます。そして、能に通じるということは、日本人の精神・体・魂を知ることであると。辰巳さんは古格を守り続ける宝生流の一翼を担ってご活躍される一方で、30年以上にわたり保育園児から90歳まで幅広い世代の方への体験教育等の普及活動を国内外で行ってこられました。辰巳さんが能を通じて伝えたい「日本人の心」とはどんなものなのでしょう?
重厚で風格ある佇まいからは意外に思われるほどの、おおらかな笑顔がとても素敵な辰巳さん。その笑顔にすっかり甘えて、まずは能の歴史からじっくりお話をお聞きしました。
Photo : Yoshihiro Miyagawa
辰巳満次郎(たつみまんじろう) シテ方宝生流能楽師
1959年神戸生まれ。父故・辰巳孝に師事し4歳で初舞台。東京藝術大学音楽学部邦楽科入学と同時に上京し東京で修行を開始し、18世宗家故・宝生英雄の内弟子となる。1986年に独立し全国で公演や実技指導、普及活動を行う。2000年より能楽協会本部教育特別委員会発足メンバーとして、学校教育における能楽の導入に尽力する。海外活動としては、ニューヨーク国連前広場、メトロポリタン美術館ホール、エジプトスフィンクス前薪能などの海外公演も参画する。他にロンドン・北京・上海・杭州・バンコク・メキシコシティ・ブレノスアイレス・サンチャゴ・ワシントン・パリで公演。国内外で外国人対象のワークショップも行う。古典公演だけでなく新作能の発表も積極的に行なっている。2001年重要無形文化財総合指定の認定を受ける。2020年一般社団法人日本芸術文化戦略機構(JACSO)を設立する。
三枝:辰巳さんが監修された『能の本』(西日本出版社)のまえがきにあった、「能は、日本の中世に花ひらいた最先端ミュージカルである」というフレーズがとても印象的でした。
私も含め、能に触れる機会がなかなか無い読者の方も多いかと思いますので、まずは能という芸能について、能が生まれた経緯や現代までの流れ、その役割など少しお話しいただけますか?
辰巳さん(以下敬称略):能は「祈り」から発祥した芸術です。「芸術は宗教の母」という言葉があるように、「宗教」が成立する前の祈りの手段は、太陽や山海、それから巨石など森羅万象に向かって歌ったり踊ったりする、つまり芸術・芸能でした。これは世界に共通しています。
そのように始まった世界中の芸術・芸能文化は、時代によって変化しながら継承されていきますが、日本の古来の芸能の場合、時代によって分かれ目があり、室町時代に完成したものと、江戸時代に完成したものではちょっと違いがあります。
能のルーツは1250年くらい前に中国から伝来した散楽と言われていますが、それから600年後の室町時代、14世紀半ばに観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)という二人の天才役者が現れ、将軍や貴族たちにウケるよう、芸術的、文学的要素を加えた歌や舞を中心にする優美なものに変えます。現在の能はこのとき完成されたといわれています。
一方、江戸時代になると、建物をつくり人々を招き入れて見せるようになります。神のためにではなく、人々のための芸能、つまりエンターテインメント化していきました。
このようにして能は単なる「祈り」ではなく芸能になっていったわけですが、それでも「祈り」の要素が色濃く残っています。ちなみに華道、茶道、書道も同様に室町時代に完成しています。相撲もそうですね。これらはいずれも神仏に奉納される祈りの表現でした。
昔は神道、仏教などの宗教は関係なく、祈りの対象は宇宙、森羅万象でした。自然信仰がルーツです。能にはいまだに、その自然への感謝の心が色濃く残っています。例えば、能の舞台に必ず描かれている松は神が降りてくるシンボルです。松が描かれることによって「ここは神聖な場です」と示しているのです。
また、能の演目には5種類あります。神様のもの、男のもの、女のもの、狂いもの、鬼もの。1日のバイオリズムに合わせて演じられます。空気の清浄な朝は神様のもの、太陽が登るパワーに合わせて男の戦いもの、陽が登りきったあたたかい時間には女の優美なもの、日が影ってくるとドラマチックな恋愛ものや敵討ちもの、そして日が沈み鬼が出てくる時間帯になります。能では、演目順は1日のリズムで決められます。人間国宝であっても神ものを舞うのであれは一番目に、鬼ものを舞うのが新人なら彼がトリになります。
三枝:その順は、他の芸能では考えられないですね(笑)。そのくらい、古来の祈りの形が能の中に残っているのですね。それにしても1250年前とは!そんな大昔の日本人が見ていたものを、今の私たちも楽しめる、タイムスリップ感覚も味わえる芸能といえそうですね。
今では、能の舞台を拝見する機会はそう頻繁にはないというかハードルが高いように思いますが、その昔は、神社などで、日常的に祈りとして演じられていたものだったのでしょうか?
辰巳:いえ、能はそう頻繁に舞うものではありません。神社仏閣で舞うのは、一年に何回かの神事、仏事の時だけです。能は「一期一会」という言葉を大切にしているために、頻繁でないことを良しとされていまして、今でもロングラン公演は避けていますし、3日間でも長いと言われます(笑)。「一生に一度のつもりで立ち向かわなければいけない」と言われているのです。
能の演目はもともと数千曲あったものが江戸時代に幕府によって整理され、今現存しているのは200曲です。江戸時代、能は武家の教養として発展し、各地のお城には全て能舞台が造られました。式楽と言いますが、幕府のセレモニーはすべて能でした。江戸幕府は、宮中の華やかな雅楽に対して、その権力を示すための芸能として能を選びました。一期一会を大切にする、その能の潔さがウケたのでしょう。そこで、武士が能を習得しやすいように整理が必要となり、新作の創作も原則禁じられました。我々は伝承のためその200曲を全て学びますが、一生舞わないものもあるんですよ。
そうそう、先ほど能は室町時代に完成したと言いましたが、江戸時代には、能に変化をもたらした大きな事件がありました。白足袋の誕生です。それまでは、足袋といえば鹿皮製でした。しかし江戸時代に大火事が何回もあったため、防火頭巾の材料として鹿皮が高騰したそうです。それで、代わりとなる木綿の白足袋が生まれたのです。
鹿皮はもともと防寒に使われるような分厚いものだったので、夏はみな裸足でした。それが、木綿になって一年中履くことが出来るので登城の時に必ず身につけるようになり、武士に浸透しました。白足袋は鹿皮と違ってすり足がしやすいだけでなく、圧倒的に舞いやすくなった。身体表現にも影響を及ぼして、能は技術的にも発展していったのです。
三枝:それは面白いお話ですね。白足袋の誕生が、能の芸術性をさらに高めたのですね。今では少し敷居が高いように感じてしまう人もいるかもしれませんが、もともとは人々に浸透していた芸能だったと伺うと、親近感が湧くような気がします。
辰巳:さて、明治新政府は、国賓接待に自国の文化を披露する際に能を利用しました。ちなみにこの時、能に魅了された外国人が「高度な文化を持つ日本を簡単に植民地化はできない」と悟ってくれたおかげで、それを逃れたという話もあるようなのです。日本は「文化」によって救われたのかもしれないですね。
でも少し残念な事に、これ以降、特別な人のための高尚なものという傾向になってしまいました。江戸時代までは将軍から庶民まで身分も年齢も関係なく同じ場所でみていた、あまねく人々のための芸能だったのですが、能は一般の人には分かりにくいものという誤解はこの頃から続いているのかもしれません。
ですから、私たちは、その誤解が少しでも解けるようにと、活動をしているわけです。そういう意味でも、サヱグサさんの取り組みにはとても共感しますし、私たちに出来ることがあるのならご協力したいと思っています。
三枝:今に至るまでの能の歴史、とても興味深くお聞きしました。そして、私たちの取り組みにご共感くださりありがとうございます!
辰巳さんは、大人でなく子ども達への普及活動も積極的に行われていますが、能を通じてどんなことを子ども達に伝えたいと思っていらっしゃるのでしょうか?また、どのようにして日本文化を残していきたいと思われて、どんな実践をされていますか?
辰巳:能には「日本人の心」がテーマとして隠されています。その中で、特に大切にしているのが「許し」です。能は「弱者」や「鬼」が主役です。能では、鬼は悲しみや嫉妬などの負の気持ちから生まれたもの。殺されるのではなく、許され、人間に戻してもらうのです。鎮魂ですね。そういうところに、日本人の心やおおらかさを感じることが出来ます。そこが、現代人の心情に合うのでしょうか、最近は、客席に若い人が増えました。
また、深刻なテーマもファジーに包んでおおらかにやるのが能です。例えば、「土蜘蛛」という曲があります。ここに登場する土蜘蛛はバケモノで「退治してめでたし」となりますが、実は土蜘蛛は先住民を表していて、大和朝廷によって滅ぼされた、国を作り上げるために犠牲になった民がいたことを能で語り継いでいるんですね。当時の人は、それをわかって聞いていたのです。
三枝:能は美しい装束や舞が見どころかもしれませんが、隠されたテーマを知ってから鑑賞することで、より楽しめそうですね。
能を鑑賞する若い人たちが増えたというお話しもとても興味深いです。20年前からの辰巳さんの取り組みの成果なのではないでしょうか。「入り口の大切さ」を痛感しますね。
辰巳:はい。私は、子どもたちには能を通じて「日本人の心」を知り、それを大切にするということを学んでほしいと思っています。現在、3歳から高校生まで、20名近い子供たちが、私たちの元でお稽古をしていますが、学校などへ出張して行う体験学習にも力を入れています。
文科省によって「能は鑑賞中心でないとの教育に入れられない」と言われていた頃、鑑賞学習で舞台を見させられただけの子どもは、意味もわからず退屈するし2度とみたくないと思ってしまうのがほとんどだったでしょう。
私は、日本の伝統文化の伝承に危機感を覚え、能や伝統芸能を学校教育に取り入れるのであれば、体験中心にするべきと訴え、20年前から実行してきました。
そうすると、子どもたちの反応は、楽しかった。またやりたい、またみたい。と変化し、手応えのあるものに変わってきました。能は本来、子どもからお年寄りまで楽しんでいただける芸能なのです。
三枝:なるほど。私も、日本の文化を知らなければ、「日本人の心」を理解することは出来ないと思います。
最近、こんな寂しい話をよく聞きます。学生さんが留学先のオリエンテーションで自国を紹介するシーンで、語れることが何も見つからなかった。日本よりはるかに貧しく小さな国の学生達でも胸を張って自国の話を熱く語っているのに…。とっても恥ずかしく、これまで自国の文化に興味を持たなかったことを心から後悔をした、と。
グローバルな場へ出ていくのであれば、自国のことを知らずに他国を理解することなんて出来ないと思うのです。サヱグサとしても、子ども達が自信を持って世界へ飛び立てるようなお手伝いもしたいと思っています。
辰巳:おっしゃるように、グローバルに見れば、人が自国の文化を語るのは当たり前のことなのに、日本では、目の前に当たり前にある独自の文化が良いものかどうかの判断すらつかない人が多いのでないかと思います。それは、国が自国の文化普及に力を入れてこなかった結果と思っています。
芸能文化だけではありません。例えば、日本人にとって身近な文化の一つである「畳」。正座という姿勢や本井草の香りなど、精神を落ち着ける効果もあると言われる「畳」の良さを、今の人たちはあまり知りません。日本では畳の部屋を使う人がどんどん減っていますし、井草もコストを抑えるために輸入ものに頼っています。逆に、良質な日本産本井草の畳はヨーロッパなどに輸出されているのです。悲しいことに、その価値がわかっているのは自国民ではないのです。
伝統工芸の衰退は、伝統芸能の存続にも大きく影響します。例えば「漆」です。漆がなくなれば、能面も扇も作れなくなってしまいます。茶道もそうですよね。日本には今、漆かきの職人さんは2人となってしまったそうです。伝統工芸の重要性が理解されずにきてしまった結果です。
これらの文化を守っていくために大切なことは、私たち使う側は作ってくれた人を知る、作る側は、使ってくれる人を知り、どう使われているかを知る。まずはお互いを知ることなのではないでしょうか。そんな思いから私は昨年、舞台芸術だけでなくそれを支える工芸など様々な日本の伝統文化の体感の場を提供し、国内外にその魅力を発信するために、一般社団法人日本芸術文化戦略機構(JACSO)を立ち上げました。
三枝:本物の叡智、技術は一度途絶えてしまうと復活することは出来なくなります。私たちが働きかけることで、子どもたちがそれに興味を持ってくれて、大人になった時にまた次の世代に繋いでくれる。そんな未来になるといいですね。
辰巳:はい。できるだけ多くの人に、日本人の心である伝統芸術や文化にたくさん触れてほしい。それが一生に一回の体験となっても、アマチュアとして勉強を続けてもらってもいいのです。ひょっとしたらプロを目指してくれるかもしれない。とにかく日本文化に出会える場をたくさん提供したいと思っています。
実は今、その施設も作ろうとしています。「ミニ文化村」という構想なのですが、そこに住まう若者からシニア世代までの人たちに向けて、そういう体験を提供します。ラボを作り、発表の場も作ります。プロやアマチュアの養成も行います。文化の香りがする街のモデルを作ってみたいのです。社会貢献に興味を持っている地方自治体が増えていますので実現するといいなと思っています。
三枝:素晴らしいですね。そういう場づくりというのは本当に必要だと思います。
今のお話は、私たちの考えと共通するところが多いと感じました。伝統文化や伝統工芸、自然なども含め、子どもの感性形成に必要な環境をトータルに提供していきたいと考えています。ぜひ今後ともご一緒に子ども達への体験提供をさせてください。
辰巳:こちらこそ!芸術文化の礎になる自然は、子どもに芸能を教えるときにも重要になってきます。それこそ、サヱグサさんが子どもたちの里山体験を行っておられるという小滝で、ズボズボと裸足で田んぼに入るなんていうようなこともご一緒に(笑)。例えば、翁という曲の中の「三番叟」が、五穀豊穣を祈って田植えのときに奉納されたように、農業と芸能はきっても切れない関係にありますので、お酒造りやお米作りも子ども達と一緒にやりたいと思っているんです。ぜひ小滝をご紹介ください。
三枝:それは面白そうですね!そういえば、小滝にも獅子舞やお囃子がしっかり継承されていますが、それも大昔からの祈りの形なんですね。小滝には都会の子ども達に伝えてあげたいものがたくさん残っている素晴らしいところです。状況が良くなったらお連れします!
辰巳さんがこれまでの普及活動で出会った子ども達の、印象に残ったエピソードをひとつお聞かせくださいますか。
辰巳:そうですね、印象深いエピソードはたくさんありますが、7年ほど前の、ある小学校の体験学習をお引き受けした時の話になります。
その学校は当時、学校崩壊といっても過言ではないほど、生徒たちがやんちゃすぎて大変困っていらっしゃる状態とのことでした。ですから大変な緊張感を持って伺ったのですが、会場となった体育館に集合した生徒さんたちをみて驚きました。私たちが壇上に登って、先生が大きな声で注意しても、おしゃべりが止まないどころか、バスケットをし始める子たちまでいるんです(笑)。
もう、これは覚悟を決めてやるしか無いと、「高砂」を謡い始めたんです。そうしたら、子どもたちが一斉にシーンとなった。そのまま二時間、みんな一生懸命に参加してくれました。最後に私が舞った時にもみんな集中してみてくれました。
その時の子どもたちの目の輝きが忘れられないですね。
三枝:やんちゃな子ども達に、辰巳さんたちの本気度が伝わったのですね。
辰巳:そうなんだと思います。私は、純粋な子でなければ「やんちゃ」にはならないと思うんです。純粋だからこそ、私の真剣さが伝わった。相手が子どもでも遠慮しませんからね。命をかけて能という仕事に向き合っていることが伝わったのだと思います。
私はワークショップで使う能面でも、良いものを持っていきます。50年や100年程度のものでは、本気度や本当の価値は伝わらないのです。海外でも、500年以上前の能面を持っていきますよ。一番古いのでは900年です。空港検査ではハラハラしますけれどね(笑)。
ものを教わることへの感謝の心を持たせたいのであれば、教える方も、教えさせてもらうことに感謝して真剣にならなければいけません。そのような相互の関係があってこそ、本物への気づきは促されるのではないでしょうか。
三枝:900年!すごいですね・・・。でもおっしゃる通りだと思います。偽物をあてがったのでは物事の本質は伝わりません。私たちも、「本物」にこだわった体験を提供していきたいと考えています。さっそく今回、辰巳さんにワークショップをお願いすることになりました。本来ならば、たくさんの子どもたちが直に辰巳さんとふれあえる場を用意したいのですが、コロナ禍の今は、それが叶いません。そこで、4名の子どもたちにダイジェスト版のワークショプを特別体験してもらい、動画を公開する予定です。
辰巳:ワークショプでは、足袋を履くことからはじめます。正座をしての美しいご挨拶の仕方や、すり足の練習もします。
また、能はそぎ落としの芸術です。たとえば悲しみの表現にしても、大声で泣けばわかりやすいですが、能ではただうつむくだけとか、目頭に袖を触れるといった所作で表します。悲しみや怒りの表現をどうやるのか、実際に能面を使って体験してもらいます。
古典芸能には、「日本人の忘れもの」がたくさんちりばめられています。
足袋はどちらの足から履くのか。そもそも右と左の意味は?どうして右が右になったかはご存知ですか? 日本人なら知っておいて欲しい大切な事だけれど、こういう本来当たり前のことほど書き残さず口伝で伝えられてきたため、伝えることを怠れば、その意味は忘れられてしまいます。能というコンテンツを通して、楽しみながら「日本の文化」「日本人のこころ」を知ってもらいたいと思っています。
三枝:いつか必ず、フルタイムでのワークショップも開催したいと考えていますので、たくさんの子どもたちに参加していただきたいですね。
辰巳さん、本日は貴重なお話をお聞かせくださりありがとうございました!
〜書籍のご紹介:能の世界に興味をもった方へ〜
『能の本』『能の本2』
村上 西日本出版社辰巳満次郎さんが監修し、「これを読んだら、すぐにでも能を見に行きたくなるような本を目指した」という入門書です。能の世界に親しんでもらおうと、代表的な能のストーリーを短編小説のように読みやすく現代語訳し、さらに漫画による解説、演じる側からみた曲の魅力を辰巳さんが語るコラムも添えられています。